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日記・好きな事の考察や感想・オリジナル小説等を書いていきます。

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART4

僕とポルノの歴史振り返りの続きです。前回の記事はこちら↓

500yenojisan.hatenablog.com

 

予定ではこの記事で10周年から現在までちゃちゃっと駆け抜けるつもりだったのですが、現代に近づくにつれて記憶が鮮明になるので、文量が増えすぎちゃいました(笑)

このまま2019年まで続けるととんでもないことになりそうなので、15年目の2013年を一区切りとして、次回で完結させようと思います。

 

“話したいことが両手いっぱいに溢れてる”

 

というやつですね!

 

≪僕とポルノ 中編≫


【2009年】
2月末、10th LIVE CIRCUIT“ロイヤルストレートフラッシュ”広島公演に大阪在住の友人と参戦した姉は、帰宅するなり開口一番叫んだ。

「おい、ポルノのライブやべぇぞ!!」

姉にとって、これがポルノの初ライブだった。

「スクリーンに歴代の曲が赤字で流れてるのが格好良すぎるし、オープニングから今宵、月が見えずともの流れに総毛立ったし、床がなんかもうずっとドゥンドゥンしてて立ってるのか飛んでるのかようわからんかったけど、めちゃくちゃ楽しかった!!楽しすぎてライブ終わって放心したせいで新幹線終電逃したからタクシー使っちまったわ!」

ライブの余熱をそのまま土産にしたように、ちょっとやそっとじゃ止まらないマシンガントークを展開してくる。姉はその勢いでラバッパーになり、その後会報で東京ロマンスポルノ'09の開催告知を見てエントリーし無事当選。

9月、ポルノはデビュー10周年記念の翌日にこの胸を、愛を射よをリリース

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前作の今宵、月が見えずともが良かったのでハードルが上がったせいだろうか、アレンジは壮大だけど、10周年を記念するシングルにしてはちょっと弱いな~と思った。あとカップリングの『ダイヤモンド』を聴いて「なんだこのダサさは!?」と驚愕した。

“キャンパスの食堂のパァスタァ!
 茹で足りずパサついてマァシタァ!
 でも黙ってそれを頬張りィマシタァ~”

………。

この曲は現在でもトップクラスに苦手。

この頃、姉に「東京でポルノがライブするんやけど、いかん?」と誘われる。
元々彼氏と行く予定だったが、別れた(爆)ので一緒に行く相手がいなくなり、急遽僕を連れて行こうと考えたのだ。

この時の自分はライブ童貞だった。
(友人のバンドがライブハウスでやってるヤツは何回か行ったことあるけど)

ポルノならそれなりに曲も知ってるし、ロイスー後の姉の興奮を見ていたのでライブに対する興味もあった。それに岡山県の田舎者にとっては縁遠い世界である大都会・東京に行けるというのは魅力的だと思い快諾する。

この時は“あのライブ”がどれほど大きな価値を持つモノか、よくわかっていなかった。


次のシングルアニマロッサがブリーチのΟPテーマになる。

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ポルノでは名曲揃いのカタカナタイトル、胸愛がバラードだったから(きっと)テンション高め、しかも今宵、月が見えずともが劇場版ブリーチの主題歌だった事もあり、ブリーチ繋がりということで期待値はかなり高かった。
それなのに“チュ~ルッ チュッチュ チュ~ル”ってお前…CIAOちゅ~るかよ(当時はない)全体的な雰囲気はおおむね満足だったので非常に惜しかった。 

 
あとPVの昭仁の肌が黒すぎて松崎しげるかと思った。

アニマロッサ発売から3日後、東京ドームにて“東京ロマンスポルノ'09 ~愛と青春の日々~”開催。

ポルノの10周年をお祝いするスペシャルライブ。初東京ドーム・1日のみ・映像化予定なしという超貴重なこのライブが初参戦だったのは、今考えると非常に幸運だし、姉の元彼には感謝している(笑)

席はライト側2階スタンドで、ステージが遠すぎてポルノの2人が豆粒のようにみえた。

ライブが始まって、僕は自分が所詮にわかだったことを知る。

これまでそれなりにポルノの曲は聴いていたつもりだったが、あまり覚えがない曲が結構あった。それに初めてのライブで長時間立ちっぱなしがしんどくて、中盤のバラードゾーンで所々意識が飛んでしまった。
しかし『ビタースイート』『ライン』『Light and Shadow』『惑星キミ』『ナイトトレイン』等、このライブをきっかけに好きになった曲は結構増えた。
アンコールで新曲として披露された『タイトル未定(現・瞳の奥をのぞかせて)』が、バイオリンの妖しげなメロディと色っぽい歌詞で“まさしくポルノ”って感じの曲だと思った。
『ジレンマ』で自分の左前にいた女性ファンが異様なほどクネクネしながら聴いていたのが妙に頭に残っている。
『アゲハ蝶』『Century Lovers』『ミュージック・アワー』『ハネウマライダー等、おなじみのパフォーマンスがある定番曲はもちろん楽しかった。
公演後の生声で昭仁が「お前らを離さんけぇ!」と叫んでいたのが印象深い。

わからない曲もあったけど、TVやCDでは伝わりきらない彼らのパワーは確かに感じ「機会があればまた行きたいな」と思えるとても良い経験になったライブだった。

時が経ち、ポルノの全曲を覚えてその魅力にハマればハマるほど、このライブの貴重さを思い知り『クソにわかの状態で参戦してしまった』当時の自分を責めたくなる。“神と神”ではその気持ちを胸に参戦し、文字通り神の前で懺悔するつもりである。


【2010年】
東京ドームで初披露された瞳の奥をのぞかせてが発売される。

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このシングルはカップリングの『Rainbow』含めて結構気に入り、久々にヒットするかと思ったけど、現実は当時の売り上げ枚数のワーストを記録してしまう。この時期ぐらいから、僕はポルノの新曲が出る度にCD売り上げ記録が気になって欠かさずチェックするようになっていた。
そしてハネウマライダーがポルノにとって最後の20万枚越えシングルで、あなここ以降のシングルでは10万枚を越えたのは今宵のみ(14万7千枚)というデータを知り「いつかまたハネウマくらい売れて皆の話題になるような凄い曲を出して欲しいな」という淡い期待が芽生えていた。

3月24日に8thアルバム『∠TRIGGER』が発売される。このアルバムは個人的に最も思い出深い一枚。 

∠TRIGGER (初回生産限定盤)(DVD付)

∠TRIGGER (初回生産限定盤)(DVD付)

 

 
なぜかというと発売から約1週間後に神戸で独り暮らしを初め、寂しさを紛らわせるために四六時中飽きもせず聞き返したメロディ達だからである。今でも三ノ宮や新神戸周辺を歩くとアルバム収録曲が脳内再生され、当時体験した様々な記憶が蘇る。

深夜、ベッドに横たわり耳にそっと手を当ててじっくり聴くこのアルバムは収録曲のダークさもあってとても心地良いものだった。特に『ロスト』はその制作経緯もあってしばらくはイントロが流れると鳥肌が立ち

“忘れたくはない消え去って欲しくない
 だから今ここで歌に代える
 あと何年経っても僕の中に
 深く深く留めておくよ”

の部分で号泣していた。

脳内にこの曲のイメージ映像が出来上がっており、いつか具現化したい。

別学科の女子に(割と熱烈な)ポルノファンがいて、自分以上にポルノを聴いている人は姉以外で初めてだったので嬉しかった。学校に通い始めて間もなく、その女子から11th LIVE CIRCUIT“∠TARGET”の姫路公演に誘われるが、断ってしまう(超バカ)。理由は完全に忘れたけど、たぶん自分がまだ女子という生き物に対して抵抗があったせいだと思う。工業高校生の童貞力舐めんな。

まあその後なんやかんやあって、その女子と付き合うことになるのだが約1ヶ月で破局
しかも自分の誕生日にデートに誘ったけどドタキャンされてその3日後に電話でフラれるというポルノの失恋曲でもそうそうないであろう酷いオチかます

閑話休題。8月26日に“∠TARGET”広島公演があり、姉に誘われ参戦。
会場のふくやま芸術文化ホールリーデンローズは、自分が幼稚園の時に音楽発表会とかで行ったことがあった。席は1階の上手端で、東京ドームと違いステージがめちゃめちゃ近くて驚いた。晴一のギターを弾く指使いがひとつひとつはっきりとわかるほどだった。

ライブ前、当時やってたmixi(懐い…)の日記にセトリ予想を書いていたが、この記事を書くに当たって見返してみると、とてもツッコミどころ満載なのであえてここで晒そう。

 

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わかる人にはわかる、にわか丸出しのクソセトリ。
∠TRIGGERのツアーなのに他アルバムの曲多過ぎだし、グラビティじゃなくて『グラヴィティ』だし、あえて『ホール』をチョイスするセンスが謎だし、24曲中シングル7曲って少なすぎるし、センラバ・ネガポジ・ジレンマに挟まれたロストってどんなテンションで聴けばええねん。

まあ自分にとって一個前のライブが東京ロマンスポルノだから、そのノリで選出しただけだろうけど。


10月に『君は100%』が発売。

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「タイトル史上最高にだせぇw」と思ったけど、ノリは結構嫌いじゃなくサビも割とキャッチーだったので購入。

実はこれが初めて自分の金で買ったポルノのCDだ。

今まで実家で姉のおこぼれを授かる乞食リスナーだった自分が、独り暮らしをはじめてようやく自分でCDを買うようになったのだ。

歌詞が爽やかすぎて「若手バンドっぽいなー」と思っていた。進学塾のCMで流れてそう。あと最後のファルセットはあまり好きじゃない。
カップリングの『煙』はめちゃくちゃ気に入った。歌詞のシニカルさも曲調も好き。ただしラストのドラムが加速していくアレンジはちょっと苦手。

ゲリローンはまじで数えるほどしか聴いていない。


【2011年】
3月、初の月9主題歌として『EXIT』をリリース

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サビのはじまりが、当時震災の影響で頻繁にCM放映し全国民を洗脳した公共広告機構の『あいさつの魔法』を彷彿とさせ
“狭い出口に
 楽しい仲間が
 ぽぽぽぽーん”
と組み合わせるネタがマイブームだった。


9月11日、つま恋ロマンスポルノ'11~ポルノ丸~”開催。再び姉に誘われこれで3度目のライブ参戦。
このライブは初めての野外で、天候・セトリ・演出・その他全てが高評価で、自分が参戦した中でもトップクラスに好きなライブである。


東京ロマンスポルノを反省して全曲満遍なく聞き込んだおかげで、最初から最後まで楽しむことが出来たし『Sheep~song of teenage love soldier~』『狼』『空想科学少年』といった個人的にお気に入りだった曲が聴けた事や、センラバ以降の定番てんこもりの胸熱展開は最高に盛り上がった。
後、このライブで聴いたワンモアタイム『∠RECEIVER』をきっかけに、僕のポルノに対する意識が変わったと思う。

それまではノリの良さや昭仁の声、晴一の難解な歌詞など、ポルノグラフィティという作品だけを楽しんでいたのが、更に奥深く、彼らの人間性や考え方そのものに魅力を感じるようになった。

ちなみに日焼け止めを塗っていたはずなのに、顔面や首筋が真っ赤に焼け皮膚がボロボロになって痛かった。


ライブから10日後の9月21日、現在のポルノに繋がるエポック的作品ワンモアタイムがリリース。

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個人的にこの曲はドハマりで、カフェイレで先行公開された時から発売が待ち遠しかった。
2008年ごろから渇望していた『あの頃の衝撃』がついに来たと思った。
曲・歌詞・アレンジ全てにおいて文句のつけようがなく「震災を通して昭仁が考え抜いた末に出来た」という経緯も熱い。
ポルノの応援曲って「哀しいときは哀しんで良い。君が落ち着くまでそばにいるよ」的な曲が多い気がするけど、この曲は「うるせェ!!!いこう!(どんっ!)」的なしぼんだ心を無理矢理引っ張り上げてくれるような強烈なエナジーを感じる。

サビもめちゃキャッチーだし「さすがにこれは売れるやろ!」と毎週ウキウキでヒットチャートを追いかけたけど結果はなんとポルノのシングルで初めて5万枚を割り、当時の最低売り上げを更新。

つま恋でこの曲を聴いていた人たちはどこに行ってしまったのか。

ワンモアタイムの評価として良く見たのが「なんかポルノっぽくない」というやつ。
ポルノ新時代の幕開けとなった曲だからこそ『いままで』と『これから』でファンが二分してしまったのだろう。
個人的には新しい路線を確立できたのは正解だと思う。ポルノグラフィティというバンドが今日まで活動して来れたのは、この新機軸に進めたことでさらなる進化への足がかりになったと考えるから。

でももうちょっと売れて欲しかった…。最低でもアニマロッサ(7万2千枚)は超えて欲しかった。ぶっちゃけタイアップするならスッキリのテーマよりも車のCMのほうが似合ってたと思う。

10月下旬、既に『気の合う友達』の関係になった元カノとよりを戻したくて、クリスマスに開催予定だった幕張ロマンスポルノへ誘ってみた。そいつは『Hard days,Holy Night』が好きだったので、クリスマス公演なら演奏される確率が高いだろうと思ったのだ。
誘ったその日は快くOKしてくれたが、2週間ぐらいして「ごめんやっぱ無理になった」と断られてしまい、テンションだだ下がりで自分も幕張ロマポル参戦を断念。

翌年にDVD販売され、購入して観賞したときにその神演出・神セトリぶりに行かなかったことを死ぬほど後悔した。


シングルで初めてのウィンターソング『ゆきのいろ』が11月に発売。

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個人的にこれまでのシングルの中でぶっちぎりに地味であり、脳内再生すると胸愛とごっちゃになる。あと“進んでゆけるぅ~”が“進んでユンケルゥ~”と聞こえてしまう。 

【第2類医薬品】ユンケル黄帝液 30mL×10

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カップリングの『生まれた街』は独特のノリと詩の世界観がロストとカブる所があって結構好きだった。


【2012年】
『2012Spark』が、実写映画『逆転裁判』の主題歌になる。

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サビを聴いたとき「このメロディ、ロストのラストだ」とすぐにわかった。
この繋がりのおかげでいつかライブでロスト→2012Spark(アコースティックでサビ始まり)の粋な演出をしてくれることを期待してしまう。
まさに火花を思わせるスリリングなサウンド。曲調にマッチした現代を強く生きようとする歌詞、大サビの「リルスパー!」が上手く歌えたときの気持ちよさなど、結構好きな曲ではあるが“スペーク…スペーク…スペーク…スペーク…”はちょっとダサい…。でも全体的には熱くて男らしい良い曲だと思う。

3月下旬に9thアルバム『PANORAMA PORNO』が発売。 

PANORAMA PORNO(初回生産限定盤)(DVD付)

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 その頃は就職を機に東京へと引っ越した直後で、仕事が始まったばかりで慌ただしかったのと金欠だったので1ヶ月我慢して4月末に購入。


前作の『∠TRIGGER』以上の気合いを感じたアルバムで『メジャー』『FLAG』『素敵すぎてしまった』『カシオペヤの後悔』は結構気に入ってヘビロテした。
ただ、1曲1曲のパンチが凄い分アルバムとしてのまとまりは薄く(コンセプト通りだけど)あまりアルバムを通して聴くことはなかった。あと、アレンジや歌詞に所々苦手な部分があった。
『電光石火』“やーきつけたーい(ヤキツケタイ…)”“疾風雷神、恋のマジック爆発的な?”とか『星球』月月火水木金金とか…続きの“あなたがたゆたえるほどのテンポで時計の針は緩めておいた”は妙に好きなんだけどね(笑)

7月から12th LIVE CIRCUIT“PANORAMA×42”が開始したけど社会人1年目だったから予定が上手く作れなくて参戦できず…。

9月に『カゲボウシ』が発売される。

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曲自体は嫌いじゃないけど「シングルにしてはちょっと地味すぎやせんか?」と思っていた。カップリングやアルバムの1曲だったら心に沁みる、温かいバラードの名曲というポジションになれたけど、カップリングの『ルーズ』『やがて哀しきロックンロール』の方がインパクトが強くてシングル向きだったと思う。

あえてもう一度言うけど、曲自体は本当に嫌いじゃなくて昭仁の優しい歌い方に成長を感じるし、卒業式とかで合唱されたら涙腺崩壊しそう。


【2013年】
3月『瞬く星の下で』発売。 

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マギのΟPテーマだったけど、アニメタイアップにしてはイマイチ盛り上がりにくい。
編曲は2011年以降いろいろと試してたのが成熟しつつある感じで、ヘッドホンで聴くと細かい好きな箇所はいくつかあるんだけど、肝心のメロディ、特にサビが縦でも横でもノリ辛く、かといって落ち着いて聴くわけでもないし手拍子が合うわけでも無い。どういうテンションで聴けば良いのか戸惑う曲。

PVの紙吹雪がドサーッ!!ってなるやつ、シュレッダーゴミを廃棄場に出したとき下にいたらこんな感じになるだろうなと言うことで『ゴミ吹雪』と勝手に呼んでいた。

カップリングの『極上ランディング』『むかいあわせ』はとても気に入った。
どっちもライブ映えすると思うけど、未だに演奏されていないのは勿体ない。神vs神に期待。


9月『青春花道』発売。

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デビューから15年目に突入し、来年のアニバーサリーに向けて動き始めたポルノが最初に放り込んできたこの曲。彼らの青春だった80年代をモチーフにしているが、ジャケット・PV含めて「完全にギャグ」初めて見た時はこれでもかというほど大爆笑した。
曲自体はとてもキャッチーで、2番のTVゲームっぽいアレンジが好きだったりするけど『瞬く星の下で』からの急激すぎる路線変更に少々戸惑った。

10月『東京デスティニー』発売。

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80年代シリーズ第2弾。こちらは大人っぽい雰囲気だがPVは相変わらずギャグ。
サビはヨコふりが合うと思うんだけど、ライブで自分以外やってるの見たことない。

しかしなぜ青春花道と東京デスティニーは別けて発売されたんだろう。
80年代というコンセプトで共通させたのなら、ダブルフェイスにするかどっちかをカップリング扱いにして1枚にまとめて『エピキュリアン』『ダリア』を次のシングルにして欲しかった。「80年代風で連続リリースします!」って宣言したほうがプロモーションしやすかったんだろうけど、東京デスティニーの時は「またこのノリ続けるの?」というややスベってる感はぶっちゃけあった。

11月に歴代シングルを全て収録したベストアルバム『ALL TIME SINGLES』が発売。

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これが20万枚を越える売り上げを記録したのは嬉しかった。ポルノを聴いてみたいと思っていた人がこんなにいたんだと思った。
新曲のひとひらも聴き応え抜群の良曲で、胸愛あたりからあった壮大なバラードの系譜がついに完成形をむかえ、晴一の作曲能力の成長を感じた。

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12月から13th LIVE CIRCUIT“ラヴ・E・メール・フロム・1999”開催。
北海道公演に現在の彼女と参戦。(自力でチケットを取ったのはこれが初めて)
彼女はメリッサ~m-CABIまでは割とガチ目のファンだったらしいが、Winding Roadの初回盤2種売り(付属のブックレットの結末だけ違った)がショックで聴かなくなったそうだ。このライブは懐かしい曲とシングルが多かったので連れて行って正解だったと思う。
ラックのうねうねするスポットライトと音のない森の始まり方、そしてルーズが良かったと言っていた。

 

3人時代の曲と現在の曲を並べて評価されるのは、聴き続けた自分からするととても喜ばしいことだった。

ということで今回はここまでにして、次回15周年から現在までを振り返れたらいいなと思います。

 

 

 

“See you next time...”

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART3

連続企画となっているこのコーナー、第3弾と第4弾は個人的なポルノに関する思い出をサクサクっと(?)振り返っていきたいと思います!

“出会いは偶然から始まった僕らのストーリー”

ということで今回はポルノとの出会いから10周年目前の2008年末までを書いていきます。

当時抱いた感想とか周りのポルノに対する反応とかも書いていくので、ポルノ好きで暇な人はどうぞ最後まで読んでみてください!!!

※当時抱いた印象に正直に書くので一部の曲にディスが入ることもありますが、ディスは愛情の裏返しなのであしからず。曲への感想は人それぞれなので、あんまりカッカしないでね(笑)

 


≪僕とポルノ 前編≫

 


【2000年】
当時、僕は小学3年生のハナタレ小僧だった。
10月頃、学校でなんらかのイベントがあって、体育館で6年生の奴らがクラス対抗のダンスバトルをするという企画(?)があり、姉がいた6年2組の課題曲がサウダージだった。

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 これより前に『ポルノグラフィティ』の存在を認知していたかは不明だが、当時広島県福山市に住んでいた僕ら姉弟は、「同じ県の因島ってちっちゃい島にこんなバンドがいたんだ」というちょっとした親近感と誇らしさを感じていた。

入手経路は不明だけどサウダージのCDがいつのまにか家にあり、ドハマりした姉が四六時中聴いていた。今考えると車でカップリングの『見つめている』を流していたとき、聴いた両親は何を思っただろう(笑)
少なくとも純粋なガキだった僕は「ビーチサンダル」とか「日焼け跡」とか出てくるので「さわやかな夏の歌だな~」というくらいでしか捉えていなかった。時を経て意味がわかるとまるで違う歌のようさ(笑)

このころは自分はまだ音楽よりもゲームとかアニメに夢中だったので、ポルノの存在は「姉が良く聴いてるから自分の耳にも勝手に入る」程度のモノでしかなかった。

 


【2001~2002年】
まだまだインターネットが一般に浸透する前で、小中学生だった僕ら姉弟はポルノに対する情報というのはテレビかラジオくらいでしか知り得なかった。

この頃、ラジオで毎週水曜日にポルノグラフィティのallnightnippon SUPER!』が放送されていて、小中学生基準で言えば夜更け(22:00~24:00)に放送されていたこの番組を、ベッドに潜りつつこっそり聴くのが楽しみだった覚えがある。

時期は不明だが、うたばんにポルノが出演したときに視聴者からポルノグラフィティってどういう意味ですか?」という直球な質問が寄せられた時に、シラタマ「山奥に捨ててある、濡れた本」と回答していたのが妙に印象に残っている。

当時のことを姉に聞くと
「金もあんまなかったし、いつどんな曲が出たとかほぼ知らんかったから、見つけ次第中古で買ったりレンタルしていた。まだ8cmサイズのCDしかなかったアポロとヒトリノ夜はどこ行っても見つからなかった」
と言っていた。

他の思い出は、姉がラジカセで『アゲハ蝶』をかけて「歌詞カード見ずに歌いきれるまでリピートチャレンジ」を延々やってた記憶とか、2002年FIFAワールドカップのテーマソングが『Mugen』で、当時ジャンプで連載されていたサッカー漫画ホイッスル!にハマっていたのもあって、他の曲よりも良く聴いた覚えがある。 

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【2003年】
この頃家庭環境がカオス状態になり、娯楽をまともに楽しむような状況ではない日が続いたが、初めてまともにお小遣いを貰いはじめた時期でもあったので、姉はどこかのタイミングで『渦』を入手していた。(曰く、初めて新品で買ったCD) 

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自分で入手しなくても姉が勝手にどっかから手に入れてくれるので、僕はそのおこぼれを受け取るような、ちょっとズルい聴き方をしていた。でもまだ特に感心があったわけでもなく『日常であたりまえに流れていた音楽』という認識でしかなかったと思う。まあとはいえそこまで身近で聴き続けたら、そりゃ他のアーティストよりは一段高い意識で聴くようになるのも当たり前の話で、自分が思春期を迎えて友達と音楽の話題になったときに、とりあえず1番聴いてるからと言う理由で「好きなアーティストはポルノ」と答えるようになっていた。


ただやはり姉伝いからしかポルノを聴いていないので音のない森の存在は知らなかった。 

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 通っていた小学校で『月毎に決めた歌を朝、クラス全員で歌う』という謎の文化があり、12月の曲が『メリッサ』だった。今考えると朝からテンション高すぎると思うが、当時どんなノリで皆歌っていたんだろう…?

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メリッサに釣られて、アニメ『鋼の錬金術師』も良く見ていた。この頃のポルノは小中学生で聴いていない人はいないくらい若者に人気のバンドになっていたと思う。 

 


【2004年】
2004年の前半は家庭環境も安定していたが、半ばにやや修羅モードに入ったとき宿泊した某ビジネスホテルでTamaが脱退したニュースを見る。
それなりにショックだったと記憶しているが、どんな感想を抱いたかまでは詳しく覚えていない。

2人体制としてリスタートを切ったポルノは9月に『シスター』をリリース。

www.youtube.comもの悲しい雰囲気だがどこか異国情緒溢れる独特の世界観は、相変わらず中高生を夢中にさせた。

 


【2005年】
初のダブルフェイスシングルネオメロドラマティック/ROLL』が発売。この辺りから僕もポルノグラフィティの音楽に対して、ちゃんと向き合って聴き始めていたと思う。

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スリリングなサウンドで意味ありげな歌詞を早口でハキハキと歌うネオメロはめちゃくちゃ格好いいなと思っていたけど、それ以上にカップリングの『プッシュプレイ(LIVE!)』が特に好きだった。

向き合い始めたとはいえ、まだまだ最新の情報をカツガツ仕入れるほどコアでもなかったのでNaNaNaサマーガールというシングルが出ていたことは当時知らなかった。

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11月にジョバイロ/DON'T CALL ME CRAZY』発売。ポルノお得意の情熱的ラテンサウンドジョバイロはやっぱりクラスの間でも人気だったけど、1人の女子が「ジョwバイロwwwジョーバーイロwwwってなんで2回言うのwww」とネタにしていたのを覚えている。うっさい死ね

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また、この時期ぐらいから友達とカラオケに遊びに行くようになり、1番聴いていたポルノを当然歌うのだが、自分が壮絶な音痴であるという痛い現実を身をもって知ることになる。

 


【2006年】
ポカリスエットのCMで長いこと流れてたハネウマライダーが人気になる。今でもハネウマのサビを聴くと綾瀬はるかがキャピキャピしてる映像が脳内再生される。

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反面、秋に発売されたWinding Roadはあまり話題にならなかった。それどころか翌年2月に絢香×コブクロが『WINDING ROAD』という挑戦とも思えるタイトルでリリースし、完全にそっちに食われてしまった印象。個人的にはラスサビの歌詞が妙に好きだった思い出。

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【2007年】
車のCMで初めて『リンク』を聴いたとき「なんか軽くね?」と思ったのが正直な感想で、ハネウマ以前の“初聴で心にガツンと来るようなパワー”をあまり感じなかった。

www.youtube.comCDでフルで聴いたときも「イントロからBメロまではエッジ効いたサウンドで格好良いのに、なんでサビで盛り下がるんだよ!」とガッカリした覚えがある。

この時期にポルノを聴いていた友人がアルバム『PORNOGRFFITTI』を聴いて「なんか全体的にショボくね?」と辛辣なコメントを残していたと記憶している。
僕もこのアルバムは当時あまり馴染めず、アルバムを通しでまともに聴いた記憶がない。大抵5曲目の『農夫と赤いスカーフ』あたりで「もういいや」となっていた。

この年以降、ポルノの一般認知度は徐々に下降していった印象で、新作が出る度に騒いでいたクラスメイト達もいつのまにかポルノの話題を出さなくなっていた。

 


【2008年】
この頃僕は高校2年生で、バイトで稼いだ金でベースを購入した。
メリッサやヒトリノ夜を良く練習したが未だにフルで弾きこなせていない。

既にポルノは充分好きなバンドではあったが、まだまだ自分にとっては『姉のおさがり』的な存在であることは拭えず、姉が聴かない曲は必然自分も聴かないということになりあなたがここにいたらの存在は当時知らなかった。

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6月に痛い立ち位置が出て「超久々にまともに盛り上がりそうな曲が出たぞ〜!」と意気揚々で聴いたが、当時は「イマイチ盛り上がり切らんサビだし、疲れた肌を~のパート蛇足じゃね?」という感想だった。

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2007年もそうだったが、この時期のポルノは昔に比べると一回り地味になったような感じで、昔の曲のインパクトを知っていればいるほど「もっとこうして欲しい!」という願望が強くなってしまった。この辺りの曲でファンになった方もいるかもしれないけど、現実問題として数年前にキャーキャー言ってた連中はどんどん去っていき、ファンを自称していた僕ですら 『あの頃の衝撃』がいつか再び来ることを期待して聴き続けていた。

『ギフト』は結構気に入ってバイト中も良く聴いた。

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なお一般人気は直前に発売されたミスチルの『GIFT』に完全に喰われた。

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カップリングの『ポストマン』もわかりやすく盛り上がるので結構好きだった。
PVのフィンランドの森の中で歌う昭仁の隣でフラフラして草いじったりしてる晴一「ギター弾かんのかーい!」とツッコんでしまった覚えがある。

Love,too Death,too「サビの『まほろば○△』感すげぇな」と思ったが、ドロドロした印象のうねりまくるベースラインがとても好きだった。

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ラブデス発売から3週間後にPORNOGRAFFITTI BEST ACE&JOKERがリリースされた。
個人的推し曲だったプッシュプレイが入ってなかったのはとても残念だった。
『A New Day』は車のCMでも良く聴いたので印象に残ったが『約束の朝』はイマイチパッとしなかった(一応こっちもカップスープのCM曲だったが)
『約束の朝』の歌詞を見た姉が「口から砂糖がダバーッって出るような『あまぁぁぁぁい!!』曲」と言っていたのが面白かった。

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年末に今宵、月が見えずともが発売され、ちょっとだけ世間的知名度が復活する。

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個人的にはサビの頭がマクドナルドでポテトが揚がったときの音』みたいだなと思った。あとなぜかGoogle検索で世界を見る”という歌詞が当時あまり好きではなかった。でも全体的な曲の雰囲気や、最後の『ジャジャジャジャジャジャ!』ってブレイク(伝われ)はすごくカッコ良いと思っていた。

 

なにより、自分の周りでポルノの話題が久々に出ているのが嬉しかった。



 


ということで今回はここまでにして、活動10周年となる2009年以降は次回振り返っていきます。

 

 


“See you next time…”

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART2

前回に続き、ポルノへの“遙かなる想いを吠えて”いきます。
個人の意見や多大な妄想が含まれていますので、あらかじめご了承ください。

 

 


≪神vs神というタイトルの何が凄いのか≫

『神』とは最上位である。

ドラゴンボールだと神の上に界王様、大界王様、界王神など更に偉い人たちが山ほど存在するが、現実世界で『神』以上の高位は存在しない。

つまりは天井、山の頂なのだ。

公式では『「神vs神」のタイトル通り、その日その日が「神セトリ」と言ってもらえるような渾身のLIVEをお届けします!!』と高らかに宣言されている。

「神セトリ」「神曲「神ってる」

ファンなら1度は耳にしたり、口にしたことはあるこの言葉。

これを公式が自ら宣言するのはなかなか出来ることではない。
なぜならアーティストとは自分の中に眠っているはずの可能性を信じて、常に成長を続けて新しい姿を求めたがる生き物だからである。

かつて昭仁が作詞した曲『ダイアリー08/06/09』では

“まだ僕の中に眠っている僕がいる
 そう信じているよ照れるけど本当だ”

と歌っているし、晴一も『TVスター』で

“満たされてはいけない
 満たされるために僕は歌うのに”

と、アーティストが抱える哀しき矛盾を的確に表現した歌詞を書いている。

ポルノグラフィティというバンドは、成功に縛られず常に変化と成長を続けてきた。
それは楽曲そのものはもちろんのこと、ライブの構成やサポートメンバーでもそうだ。
例えばライブの演出やセトリの組み方、サポメンの演奏の相性、楽曲の方向性など20年ものキャリアの中では「これはとても良い」と感じた場面も多々あったと思う。
でもそれに固執することなく、あえて崩してみて新しい自分たちを模索し続けた。

その結果、今までのポルノが好きだった人が離れてしまったり、新しい方向性で興味を持って入ってきてくれた人がいたり、1度離れたけどまた戻ってきてくれた人がいたり、何があろうと食らいつき続けてきた人がいたりと、良くも悪くも流動的なファン構成になっている。

思えばその活動方針は、デビュー初期からあったように感じる。
ポルノは新曲を出す度に雰囲気をガラリと変え、新しい衝撃を僕らに与え続けてきた。
キャリアが長くなるとタイアップのオファーがあった時にクライアントから過去の人気曲の雰囲気を求められてそれに答えることもあった(オー!リバルとかね)が、それでも過去と同じ事は極力せず、その時自分たちが出来る最高のパフォーマンスを曲に込めていた。

『最新が最高傑作』というのは長年リアルタイムで新譜を追い続けていた人はよくわかる感覚ではないだろうか。

比較的最近のシングルであるキング&クイーンでは

“限りある人生たとえ満たされても
 留まることを選ぶより
 また次の一歩を刻む
 いつでも挑戦者でいよう”

と歌っていて、まさにポルノの活動方針を象徴した歌詞といえる

しかし『満たされないようにする』ということは逆に言えば永遠に頂点には辿り着けない、つまり『神』になることは出来ないということだ。

もしかしたら、今でもポルノグラフィティは自分たちのことを神だとは思っていないかもしれない。もちろん新曲を出すときは絶対の自信をもってファンに届けるんだろうけど。

そんな彼らが自ら『神』と名付けるLIVE。相当な覚悟がなければつけられるタイトルではないと思う。その覚悟を与えたのは、他でもない我々ファンだ。

ポルノグラフィティの特徴である『多様性』は言い換えれば『迷走』である。

ポルノは変化しすぎるあまり、ときおりコアなファンですら狼狽えたり一般人気を完全に無視したようなマニアックな曲調をリリースすることがある。

しかしどんなときでもどんな曲でも好きだという人がいて、熱心に聴きこんでグッズを買ってライブに足を運んで応援し続けたからこそ、ポルノグラフィティは音楽業界の厳しい波にさらわれることなく現在まで活動できた。

“迷いがちな僕のことを
 受け止めてくれてサンキュー”

昭仁はダイアリー08/06/09でこのように歌った。

ファンがポルノの全てを受け止めている証として、13th LIVECIRCUIT“LOVE・E-mail・from・1999”では開催前にとった全曲アンケートに、バラツキはあれど全ての楽曲に票が入っていた。

そして、横浜ロマンスポルノ'14~惑ワ不ノ森~では
次郎が森を駆け抜けた先にファンがいるという演出の後「惑ワ不ノ森を抜けた先にあったのは…そう君なんです!君なんだ!君なんだーっ!!」という昭仁の叫びがこだまし、ポルノが惑いながらもやってこれたのはファンのおかげだと言ってくれた。

16th LIVECIRCUIT“UNFADED”のMCで昭仁は
「20年続けてこれたのは皆さんがポルノグラフィティを求めてくれるからここまで続いたと思う。ポルノの新曲が聴きたい、LIVEが観たいという声がどんどんワシらに届くから、ここまでやってくることができました。皆さんの声に負けないように色あせないポルノグラフィティでいたいと思います!」とコメントがあった。

ファンの中にはポルノに対するそれぞれの形の『神』があると思う。
個人的には0から1を創造する時点で既に神なのだが、そんな風にファンがいつも感じている尊敬の念に、ポルノは自ら胸を張って『20周年に両日神セトリと呼ばれるようなLIVEを東京ドームでやる』と宣言してくれた。

つまり『神vs神』というタイトルには、満たされることを望まない人たちを神と崇める人に向けた2夜限りの最大級の恩返しの意味が込められていると感じた。

昭仁はライブの最後にいつも「あんたらは最高じゃ!」「胸張っていけー!」「自信持って行けー!」とファンを鼓舞してくれる。それはあるいは、彼ら自身にも向けた励ましの言葉だったのかもしれない。

新しい姿を追求し続けたポルノが、20周年という節目でみせる1つの頂点。

文字通り神話として後世に語り継がれるような素晴らしいライブになるだろう。



余談だが、UNFADED大阪公演のアンケートで『20周年記念ライブは5年区切りでセトリを組んだ4Daysでお願いします』と書いた。あまりにも無茶すぎる要望だが、2Daysで両日別セトリということで半分夢が叶ったようなもんなのでとても嬉しい。
何曲変えるかはわからないが、わざわざ通し券を作るくらいだから最低でも半分は変えて欲しいところだ。まさかの全曲変わろうものならもう神も界王様も大界王様も界王神も通り越してもはやポルノ=全ちゃんと呼ばせていただきます。





次回は、自分がどんな経緯でポルノグラフィティを好きなったのかを書いていこうと思います。

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART1

宇宙の広さを記すとき人は何で測るのだろう?
この想いを伝えるとき僕はどんな言葉にしよう?

早速ポルノグラフィティの名曲『ジョバイロ』の歌詞を引用しましたが、今回の記事の内容はまさにこの歌詞の通りで、“僕が抱えているポルノへの想いの大きさは宇宙のように計り知れないが、少しでもそれを他者に伝えるためにどんな言葉を使えばいいんだろう”という状態です。

どのくらいの文量になるか、まさに宇宙の如く想像もつかないけど情熱が赴くまま、僕が持つポルノに対する『想い』をいろんな角度で書いていこうと思います。

 

 


≪16thライブサーキット“UNFADED”感想≫
今更?と思われるかも知れませんがまずは身近な話題から。

今回のツアーは12月31日の大阪城ホール、1月31日の幕張イベントホール、3月8日の横浜アリーナの3公演に参戦。ひとつのツアーに3回も足を運ぶのは初めてで、何より生まれて初めてのポルノで年越しを迎えることが出来たのは感無量だった。

席も大阪ではスタンドBの後ろの方で会場全体が見渡せて客の一体感を味わえ(音響オペ卓のバカでかいデジタル時計まで見えちゃってカウントダウンのタイミングとか完全にわかっちゃったのはアレだけど(笑))、幕張ではアリーナ6列とかいうつま恋以来の激近ポジションを確保し、炎演出の熱気やライブ冒頭の空砲を文字通り肌で感じる事が出来たし(赤テープも1本GETできた)、横浜ではアリーナBのステージ中央よりの席で照明演出や音響を楽しむのに丁度良い場所と3公演全部で違う楽しみ方が出来て非常に満足度が高かった。

ポルノのライブの照明演出はやっぱり凄い。今回は久しぶりに心の底からそう思えた。
ポルノの曲は構成やキメがわかりやすいから、演出家も作りやすいのだろう。しかし「久しぶり」と感じたのはここ数年の演出に満足いってなかったからだ。

過去のライブで「照明が凄い」と感じたのは13thライブサーキット“Love・E-mail・From・1999”のラックや音のない森が最後で、それ以降のライブの照明は個人的には「もっとやれるだろう」と自分が持つ期待感との薄利があきらかにあった。

特に14thライブサーキット“THE DICEARECAST”のANGRY BIRDにはがっかりした。あんなに美味しいキメがたくさんあったのに、サビでストロボ繰り返すだけ…確かバベルの風なんかもストロボ連発の派手で疲れるだけの微妙な演出だったな。

LEMF1999以降、演出家が変わってしまったのだろうと思っていた。まあ人がやっていることだから仕方ない。今後は自分が思い描くよりもグレードの下がった(と自分は感じる)演出に今後はなっていくのだろうとずっと思っていた。

UNFADEDの照明演出は、その不満や不安を見事に吹っ飛ばしてくれた。
特に良かったのはビタースイート、Zombies are standing out、カメレオン・レンズの3曲。これら以外ももちろん良かったが、やはり一風変わった試みがあると印象に残りやすい。
Zombieのイントロの赤白横螺旋とサビ前の上下左右に光線が閉じたり開いたりするのがもうとんでもなく格好良く、美しかった。もう一度みたいので早く映像化して欲しい。

ライブの面白い所は、開始直後からど派手な演出で魅せてくれるのに、時間が経過すればするほど色んな場所の演出が解放されていき、まるでフリーザの変身を見て「現時点ですでにとんでもないのに、一体どこまで変化するんだ?」という先が見えないワクワクを楽しめる点だと思う。

セトリに関してもおおむね満足で、個人的に聴けて良かった曲は
・幸せについて本気出して考えてみた
・ヴィンテージ
・Swing
・前夜
・ビタースイート
・Zombies are standing out
・カメレオン・レンズ
・∠RECEIVER

あたり。中でも大阪城で前夜のイントロが流れたときは人目もはばからず変な声がでた。ていうか完全に泣いてた。前夜の歌詞は自分の心情と重なる所が多々あるので思い入れが深い。まあ前夜に限らず、ポルノの歌詞には共感できるモノが多いので時折『ポルノばかり聴いてるから感性が近づいた』のか『元々そういう感性だからポルノの曲がばちこり嵌まった』のかわからなくなるときがある。
例えばビタースイートの「彼女を壊してしまうもの全てから守ろうとしてきて僕が壊していた」とかラインの「それでもそばにいられるなら微妙な距離さえ愛おしくて」とか小規模な敗北の「生ぬるい日常の中偽物でもやってこれた」とか他にも枚挙にいとまが無いほど自分の考えとリンクする曲があり『ポルノは自分の人生を監視しているのでは?』とつい妄想してしまう。

セトリの中でシングルが占める割合が例年のライブよりも圧倒的に少なく、まさにUNFADED=色あせないというツアータイトルにふさわしかったと思う。

セトリに関して不満があるとすれば、収録曲が1曲も演奏されなかったアルバムがあったことと(バタエフェは最新アルバムやから仕方ないかもしれんけど)もっと掘り下げたレア曲を1つ2つ混ぜても良いのではと思った。

シングル以外の曲が多かったとはいえほとんどの曲は過去のライブで演奏経験があり、ある程度人気があるのはわかっていたと思うので、月明かりのシルビアや曖昧な人たちなどガチで一度も演奏されてないような『忘れられてる疑惑』がある曲もあったらより色あせてないかの確認になったのではないか。

まあその期待はNIPPONロマンスポルノ'19 ~神vs神~までとっておくことにしよう。

とにかく、UNFADEDは何度でも楽しめる過去最高峰のツアーだったことは間違いない。
おもえば20年目突入キックオフライブ、しまなみロマンスポルノの2日目が豪雨中止になり、その補完として全国の映画館で1日目の様子と少々の生演奏をライブビューイングで披露したが、あの日(しまなみ2日目)味わった喪失感、欠落感を埋めるにはまだ足りなかった。ライブを埋めるのはやはりライブしかない。故郷広島で満足いく形のライブが出来なかったという悔しい事実は変えることは出来ないけど、その痛みも受け止めて、ポルノもファンも一緒に前に進むためのツアーがUNFADEDだったんだと思う。
そう思うと、本編最後に演奏された∠RECIVERはその映像演出も相まってより感慨深いモノになる。

“僕たちがコントロール出来ることはほんの少し
 ほとんどの出来事には関われないとしても
 この星の裏側でも僕たちの足下でも
 起こりうる出来事から逃げない受信者(∠RECEIVER)でいたい”

8年前、東日本大震災の復興支援の面もあったつま恋ロマンスポルノ'11~ポルノ丸~でアコースティックバージョンで演奏された∠RECEIVER。もちろんあの時も感動したし、昭仁の声を嗄らしながらも叫んだ「逃げない!」の力強さは未だに胸に残っているけど、今回の∠RECEIVERはポルノに関わったほとんどの人の心により深々と突き刺さったのではないかと思う。

しまなみの豪雨があったからこそポルノはファンの優しい対応を知れたし、ファンもポルノチームのアフターケアの良質さを体験することが出来たし、お互いより強い信頼関係が芽生えたのではないだろうか。

まさに雨降って地固まるというやつだ。

こうして振り返ると、なんだかしまなみからUNFADEDまでがひとつの物語だった様にも思える。

そして次の物語は神vs神へと繋がっていく。

横浜で初めて発表を聞いたときはそのタイトルに爆笑してしまったが、ポルノが自分のライブに“神”とつける事がどれだけ凄いことなのかを





次回説明する。

一昨日、家で起こった珍事件

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🐯上記画像と記事の内容は、一切関係がございません🐯

 

 

 

朝、仕事が終わって家に帰ると彼女が寝ていた。

僕らの生活リズムは真逆で、彼女が仕事の日は僕が帰った数分後に入れ違いで家を出るというサイクルが基本だが、この時間になっても寝ているということは、つまり今日は休みだということだ。

 

「今日なんか予定ある?」

僕は仕事着をハンガーに掛けたりしながら、布団にうずくまる彼女に聞く。

「とくにない」

気怠そうな返事。昼まで夢の中で過ごすつもりだな、と察した僕は部屋着に着替え、歯を磨くと早々に布団に潜り込む。半日後にやってくる出勤時間に備えて、早めに睡眠時間を確保して少しでも体力回復しなければならない。
最近仕事が忙しくなり、肉体を酷使することが増えて疲労が溜まってせいか、自分にしてはめずらしくすんなりと入眠することが出来た。

 

3時間後、熟睡する僕を彼女が呼び覚ます。

「大変!大変!」

なにやら大騒ぎしている。一体何事だ?重い頭をあげ、ヤニがこびりついた眼をこすると、目の前に拡がる光景に驚愕した。

部屋中が真っ白な煙に包まれている。それはまるで霧の日の山奥か、開演前のライブ会場のような雰囲気だ。部屋と同じく頭まで真っ白になっていると、続けてこれまで嗅いだことの無い独特な刺激臭が焦げ臭さと共に鼻孔を通り抜けた。

「そっちの窓開けて!」

彼女は慌ててベランダの窓を明けたりしている。僕は布団が敷いてある和室の窓を開けつつ聞いた。

「一体何があったの?」

「インスタントラーメン食べようと思ってレンジでチンしたらレンジから煙が出た!!

つまりこの匂いはプラスチックが溶けた匂いということか?有害物質が発生している可能性がある。このまま煙を吸い続けるのは不味いと判断し、唯一煙の影響がなかった別室に避難した。

 

彼女に詳細を聞くと、いつものようにレンジでラーメンをつくる容器にインスタント麺を入れてレンジを使うと3~4分で焦げ臭い匂いと煙が発生し、あわてて止めてレンジの扉を明けたら部屋中に煙が拡がったということだ。

家のレンジは僕が独り暮らしをはじめた頃に購入し、もう9年目になる。そろそろガタがきてもおかしくは無いとは思っていたが、最悪火災が発生するような深刻なトラブルが起こるとは想定してなかった。避難した部屋にはパソコンが有り、突然レンジから煙が出るような事故は前例があるのか調べることにした。


何件かサイトをめぐり、原因はレンジ内に付着した食べ物のカス等の汚れが発火するケースや水分が少ない食材を長時間加熱する事等であることが判明。

思えばこの9年間レンジの掃除なんてやった覚えが無い。ついにあらゆる汚れが牙をむいたのかぁと反省しつつ、念のため彼女に「…まさかインスタント麺に水いれずにレンジにかけたとかないよね?」と聞いた。

最初「まさかぁ」とでも言いたげに笑う彼女だったが、一瞬眉をひそめて左斜め上に視線を移すと、その表情はみるみる青ざめていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………入れてないわ(笑)」

 

 

 

 


原 因 そ れ だ よ ! ! ! ! ! 

僕は頭が痛くなった。煙のせいかな?

ある程度換気できるまで外に退避することにし、外食したり公園でボーッとしたりして夕方家に戻る。煙は完全に無くなったが独特な匂いはまだ辺りを漂っていた。その処理はドラックストアで購入した消臭剤に任せることにし、レンジ内に残されたインスタント麺容器の様子をみる。熱くはないけど強烈な焦げ臭を放っていたのでレンジのプレートごと外へ追い出すことに。

 

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内部でダークマターが錬成されているのが蓋をしていてもわかる。

一体中はどうなってしまっているのだろう…恐怖と好奇心がない交ぜになった僕はミイラが入った棺桶を開けるように恐る恐る蓋を取った。

※閲覧注意

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リンク先モザイクなし(素材の味をそのまま生かしています)

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想像以上におぞましいクリーチャーがいた。
黒い。黒すぎる。松崎しげると良い勝負。周りがかろうじて麺っぽい色合いが残っているのが逆にエグい。これほど『闇堕ち』という表現がしっくりくる状態もないだろう。おまけに真ん中のコアはなんだ。この世のあらゆる邪念が集約してんのか?





もっと近くで見たい方のために、光度を上げ接写しました☆

※大いに閲覧注意

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リンク先モザイクなし(素材の味を(ry))

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ojisanno500yen/20190420/20190420023031.jpg



周りに跳ねた油が禍々しさを増幅している。宙に浮かべたら、こんな見た目の惑星がありそうだ。茶色の部分がうねうね蠢くタイプのヤツ。


…あったら嫌だなぁ。

その後こげ臭さが残る部屋でちょっとだけ二度寝し、無事寝不足のまま出勤しました。

 

この事件を我が家では『白い霧事件』と称し、永劫語り継ぐことにする…ってなんでや!













…これがこのブログの100本目の記事というね(笑)

祖母の葬儀に参列して思ったこと

※前回に続いて今回もデリケートなテーマの記事です。
読んでいて不快に感じたら遠慮せず途中で止めてください。

 


4月6日(土)の午後10時46分、前回のブログで触れた祖母が息を引き取り、葬儀に参列しました。ブログに書いたその日の晩に亡くなったのは妙な巡り合わせを感じますが、葬儀を通して感じたことを『想い』『金』『愛』の3テーマでつらつらと書いていきます。

 


<想い>

正直な話、母から訃報の連絡を受けたとき葬儀に参列するかどうか少々悩みました。
亡くなったという事実を前にしても祖母に対して特に感情が動くことはありませんでしたし、東京から実家(笑)である徳島までの往復の交通費や礼服の用意、2、3日バイトを休むことによる収入の低下等が主な理由ですが、祖母の遺体と直接対面すれば何か心が動くかもしれないし、ずっとそばにいた母や叔父たちがどんな様子なのかも気になるし、なによりこれもひとつの社会勉強だと思うことにし、参列を決意。

結論からいうと、祖母に対しては終始なんの感情も沸いてきませんでした。
母や叔父はときどきすすり泣いていましたが、自分や姉は祖母と一緒に暮らした日々があるにも関わらず、現地に到着して遺体と対面しても、告別式で声をかけても、納棺で花を添えても、火葬中も骨上げしても「ここまで感情が欠落していたのか」と自分でも驚くほど欠片も込み上げてくるものはありませんでした。

※念のため言っておきますが、いち故人を弔うという気持ちは持ち合わせていたつもりです。

元々、祖母に対する想いが皆無なせいもありますが、自分が『死』に対してそれほどネガティブなイメージがないからかなと思います。

病気や怪我で日を追う毎に動かなくなっていく身体。そんな苦痛まみれの肉体から解き放たれ自由になるという『救い』の面が『死』にはあると考えています。

死が辛く哀しいものとして扱われるのは、故人との関係をこれ以上続けることが不可能になってしまった現世の人々が『もっとしたかった・言いたかったことがあったのに』という後悔の念が強いからなのかなと思います。

そうはいっても、この世の全てはいつか終わりますからね。

死んでから嘆き悲しむくらいなら、生きてる内に心ゆくまで会えばいいじゃないですか。
生きていても会ってない間は実質死んでいるようなものですし。

ていうか自分もいつか死ぬんだから、結局いつかあの世で会えるならなんの問題もないですよね?『会ってない間は実質死んでる』理論の延長になりますが。

まあここまでの論は自分がまだまだ人生のひよっこのせいもあるので、本当に大切な誰かとの別れに遭遇したとき、自分がどんな表情をするのかちょっと想像が出来ませんね。案外すさまじく号泣するかもしれません。

今のところは祖母の他界よりもイチローの引退やJanne Da Arcの解散や今年の1月に若くして亡くなったアバンティーズのエイジくんのほうが心が揺らぎましたね。
引退や解散もある意味『死』と同じですからね。どんな形であれ全てのものはいつか終わると考えて、いつ終わっても後悔しないような日々を送りたいものです。

 


<金>

ここからはちょっと話は変わって、葬儀・宗教というビジネスについて思ったことを書きます。

僕はそもそも『あの世なんて存在しない』と考えていて、物語としての神話や心霊関係のネタは大好物なのですが、現実で世界中のあらゆる宗教が自分たちの『あの世のイメージ』をすり込んで関連グッズを買わせたりイベントを催したりするのが気に入りません。

そもそも本当にあの世という世界があるなら、宗教によってあの世の世界観がバラバラなのはおかしいですよね?(それとも国によって風土が違うからそれと同じ事なのか?)埋葬方法だって様々ですし、弔い方もいろいろです。

自分が見えない、知らない世界を『自分の理解を超えているから無い』と言い切るのも浅はか甚だしいとは思いますが、臨死体験してる人だってテレビや世間で植え付けられた死後の世界のイメージを夢に見ているだけじゃないかと思いますし、まあこればっかりは科学的に説明が出来ないので結局自分が死んでみないと答えはでないですよね。

僕が問題視しているのは、死者への弔いや仏様への御供えを理由に絢爛豪華な装飾の仏閣を造ったり、演出として哀しげなBGMをかけたり、パチンコ屋の新装開店みたいにケバい華の置物を並べて遺影を飾ったりするビジネス臭い部分です。

結局この世は仕事と金で出来ていて、葬儀業界の方々がいないとそこら中で死体があふれかえって大変なことになりそうだから『社会を上手にまわすシステム』として必要なお仕事だとは思いますが、葬儀を通して正直思ったのが「無駄が多いなぁ」という感想です。

特に無駄だと思ったのは『通夜は遺体の前で一夜を過ごし、蝋燭や線香の火を絶やしてはならない』というルール。これは火があの世とこの世を結ぶ役割が有ると考えられていて、霊魂があの世で迷わないよう灯火を道しるべにして見守るという理由と、昔は死臭をかき消したり動物が寄ってくるのを防ぐ目的があったそうですが、最近では火災の危険や心身の問題もあり地域によっては風化している所もあったり「無理してやらなくても良い」というルールになっていて「そんな簡単に変更出来るルールならやはり迷信では?」という疑問が拭えませんよね。まあ気持ちが大事と言われればそれまでですが。

 

あと、出棺時に飾られていた生花を無造作にちぎって棺に入れるのも気になりました。花だって命ですよね?意思疎通ができないからといって一方的に燃やされるのは花としても不本意ではないでしょうか。どうしても花を添えたいというのなら、1本だけ選んで感謝と謝罪の気持ちを込めて添えた方が良いのではと思いました。

まあどっちにしても花はしゃべらないのでどう思おうが人間の勝手なんですけどね。

死人に口なしとはよく言ったもので、祖母は盛大に葬式をして欲しいとは望んでいなかったかもしれないじゃないですか。まあ生きてる側が死者を弔う際の精一杯の手向けと思えなくも無いですが、それってつまり『生きてる側の自己満足』でしかないですよね?



今ふと思ったんですけど、もしかして葬儀って死者のためというより、生きてる側が決別するための式なのか…?

もしそうだとしたらお金と労力をかけて儀式をするのも多少合点はいきます。


「あの人はこんな素敵な用意で極楽へ逝ってくれた」
「だからもう心配ない。自分たちははやく日常に戻ろう」

そう言い聞かせて前に進む為の式なのかもしれません。

とはいっても僧侶が仰っていた「最近は葬儀をされない方も多いですが、されないと魂がずっと現世を彷徨うことになりますので、皆様是非葬儀をして仏様を極楽へ導いてください」という言葉はつまり「最近儲けが少ないからもっと葬式に金使ってください」という意味だと捉えてしまいました。自分ひねくれてますかね?

とにかく、あの世にまつわるアレコレは自分が死ぬか、超凄い霊能者が現れて自分に体験させてくれるまでは絶対に信じません。

そういえば『死』とは何か数日考えているときに『心臓や脳波が停止しているからと言って死んでいるとは限らないのでは』という想像をしてしまいました。

実際蘇生の可能性がある死後24時間以内は火葬してはいけないという決まりになってはいますが、もしかしたら「肉体的には死亡と判定されても『自分という意識』はずっと生き続けているかもしれない」です。

ちょっと説明が難しいんですけど、睡眠中って眠っている間の時間は認識出来ないじゃ無いですか?起きるときに『自分を動かしている何か』が身体に命令を下して覚醒するわけですが、それって肉体が機能不全に陥った場合でも同じ事なんじゃないかと思ったんですよね。

つまり『活動したい、起き上がりたいという意識は存在するけど、肉体は全く動かないし、周りは死者扱いするから意識が残ったまま埋葬されちゃう』という恐ろしい事になっているのかもしれないなぁと想像したというわけです。

火葬されて肉体が物理的に無くなったらじゃあその意識はどこへ行くの?という疑問が残りますがもしかしたらそれを『霊体』あるいは『魂』と呼ぶのかも知れませんね。
自分の今の所の考えとしては死んだら『無』になって、いつのまにか別の何かとして再び自我を持ち現世のどこかで次の『無』に向かって進むんだろうなと思っています。

 


<愛>

最後に、愛について。


前回の記事で『母は金のために介護を続けている』と書きましたが、僕は母が祖母に対して愛情があったのかわかりませんでした。それを確かめる目的もあり葬儀に参加したのですが、たびたび流す涙を見ても確証が持てません。雰囲気に流されて悲壮感に酔っているだけなのではと思っていました。(自分で書いててなんだけどマジで最低な感想)

まあそう思ってしまうのは僕が見てきた2人の関係が非常に険悪だったからですけどね。

そこで通夜の時に思い切って「亡くなったときにどう思った?」と訪ねました。
母は「そりゃあ寂しかったよ」と答えました。

母と祖母は親子です。遠い昔、僕が生まれるずっとずっと前から、一緒の時間をたくさん過ごしてきました。だから僕が知らない積み重ねた想いがあるのかも知れません。

そもそも愛情がないと8年以上も縁もゆかりもないド田舎で介護生活なんて出来ませんし、自己満足かも知れませんが正式な葬儀を行って華々しく送ってあげたいという想いは、愛故の行動だと思いました。疑問が全て拭えた訳ではありませんし、正しい答えを探すことがそもそも見当違いなのかもしれませんが『愛の輪郭』のようなものはちょっと見えたような気がします。

まあ、それはなんだかんだ言って葬儀に参列してた自分も同じかも知れませんけど。

ただ、母は死を目前にした祖母の容態報告に絵文字を使ったり『マジ命の尊厳と看取りのあり方に悩む』とか『ヤベ~な!!こりゃ😰』等、緊張感の欠片も亡い文面を平然と送ってきて(わざと砕けた内容にして平常心を保とうとしていたのかも知れないけど)息子でも狂気を感じる所があるので母の感性に全て納得がいくわけではありません。

近い将来、自分はこの母が亡くなったときにどんな反応をするのだろう?

東京に来て8年。めっきり会う機会が少なくなった母は会う度に確実に「老いて」いっています。いつか来る別れのときには、少なくとも後悔の涙は流したくないですね。

 

 


余談ですが火葬の際にふと思った事。

祖母の身体は火葬されて骨だけになり、一部を骨壺へ納めました。
残った部分を火葬業者がどんな処理をしたのかは不明ですが『祖母の身体が自然に還った』ということは、地球に少しづつ祖母が散りばめられているのかなぁと思うと、極端にいえば命は永遠であると捉えられるし、大切な人を失った後に「自然の一部になってあの人が生きている」と全人類が思えれば、醜い争いや環境破壊は起こらなくなるんじゃないでしょうか。

誰だって大切な人を破壊したいとは思わないですよね?

大切な人との別れには、世界平和へのヒントが隠されているような気がします。

風前の灯火の祖母と年金制度について最近思うこと

※今回はちょっと真面目な社会問題に関する記事です。
不快に感じられる方もいるかも知れないので少しでも「嫌だな」と感じたら
途中で辞めることを推奨します。



4月に入り、皆大好き(?)国民年金保険料の納付書が届きました。

別に払えなくもないのですがその金額は決して安い物では無く、平時に余って残しておいた金が一気に失われるので結構ダメージはデカいです。

僕は酒、タバコ、ギャンブル、女遊び、ファッション、ソシャゲ等の金がかかる趣味がないので毎月普通に暮らしてると絶対黒字になります。たまにデートだったり友達と遊びに行ったりして出費がかさむ月もありますが、大多数の人が一ヶ月にかける生活費よりは安上がりな生活をしていると思います。なお意識して過剰な節制をしているつもりはありません。

そんな僕ですら「年金、高すぎやせんか?」と感じているので僕以上に思う方が世の中の大半を占めていることでしょう。


ということで今回は『社会制度と命』について最近思うことを書き散らしていこうと思います。結構シビアなテーマなので間違えている所やうまく書けていない部分も出ると思いますがよろしくお願いします。

そもそも何故こんなテーマで記事を書こうと思ったかというと、実家の祖母が関係しています。

祖母は現在御年88歳(確か)ですが、生命維持装置を外すとそのまま亡くなってしまうレベルの生死の境にいます。10年くらい前に一緒に住んでいた時期は自分の足で2km先のスーパーまで買い物に行ったり家でもキビキビ動いていろいろやってたので、病院のベッドで何も出来ない今の姿を見るとなんとも言えない気持ちになります。

あらかじめ断っておきますが、僕は祖母のことは『どちらかと言えば嫌い』です。
何故嫌いと思うようになったのか…その詳細は次の機会にとっておくとして、端的に説明すると僕が小学校高学年ぐらいのときに一族レベルの問題が発生した際に、色んな大人達が「諸悪の根源は祖母だ」という話をして祖母を責め続け、僕も実際そう思うところもあったので子供ながら「祖母は悪い人」という意識が芽生えていました。僕が祖母に対して直接なにかするわけではありませんが『出来るだけ関わりたくない、もう会いたくない』とは今も思っています。

そんなあまり印象の良くない祖母の体調が明確に悪くなったのは8年前、僕が神戸で独り暮らしをしているときでした。当時岡山に住んでいた母から「祖母が『くも膜下出血』で倒れた」という連絡を受け、緊急手術で一命を取り留めたものの、後遺症により痴呆になり、入院の影響で骨が弱ったのか背骨もかなり湾曲してしまいました。

祖母と母は「なにかと安心だろう」ということで2人で岡山を離れ、徳島に住んでいた母の弟家族と同居することになり、岡山で1人暮らしを始めていた姉と「ついに一家離散wwww」とネタにしていました。

長期休みで徳島の実家(1日も暮らしたことはないけど定義的にそう呼ぶしかない)に顔を見せると、腰が曲がり痴呆が進んだ祖母が僕の顔を見て随分昔に先立った祖父や自分の息子の名前を呼ぶので、嫌いながらもその変化には戸惑いを隠せませんでした。

その後祖母は何度か病気や怪我を繰り返し、6年前くらいについに寝たきりになってしまい、今日まで入院することになります。僕は東京で仕事を始めていて帰省するのは1年に1、2回になり、祖母の様子を病院へ見に行く度に小さく、衰弱していくのがわかりました。

入院中も何度か生命の危機に晒されることがあり、これまで何度も母から「今年いっぱいかな」とか「今月が山」とか聞かされました。
しかし幸か不幸か祖母はまだ存命しています。もう身動き1つ出来ないし、自分の意志を伝える手段もありませんが医療の定義的に言えば『生きて』います。

ちなみにここまで献身的に看護しているように見える母ですが、母も祖母のことを嫌っています。母にとっては唯一の親なので僕にはわからない思い入れももしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも僕が一緒に暮らしていた時期に祖母に対して悪態をついていた1人であったことは確かなので何故ここまで祖母の看護に熱心なのか正直理解不能です。

5年くらい前からもう祖母は自分から声を発することも出来ず、声をかけてもとんちんかんな返事しかしないし、覚醒と昏睡の境が曖昧な日々が続いていました。そんな『生命活動を維持しているだけの肉塊』となり果てた祖母をみて僕は不謹慎ながら「もう楽にしてやった方が良いのではないか」とずっと思っていました。

入院代や医療費も馬鹿にならないだろうし、母はとある事情で育てている少年(母の弟の息子)の世話と看護で忙しく、働けていない状況なので実家の資金事情が気になった僕はある日、母に尋ねました。

「随分長いこと入院してるけど医療費はどっから出てんの?」

「お婆さんの年金」

祖母は若い頃働くことが好きだったらしく、毎月結構な金額の年金を受け取っているようです。それは祖母にかかる医療費と生活費を合算しても少々余るくらいの金額らしいです。

だから母は祖母を無理矢理にでも生かしているのです。

 


亡くなると年金が受け取れなくなり、自分たちの生活まで脅かされるから。

 


ゾッとしますよね。元気だった頃は「早く○ねばいいのに」とか「もう顔も見たくない」だとか酷い言われようだった祖母を生かしておく理由は『出来るだけ長生きして欲しい』と言う温情ではなく『生きているだけで金が生まれるから』という冷徹で打算的な話なのですから。

そしてその金がどこから発生してるかというと、僕たちが健気に納めている『年金保険料』です。僕は自分が嫌っている祖母が受け取る年金を支える為に、決して安くない金額を納めて日々の生活を圧迫していると思うと、ちょっと腑に落ちません。

全ての家庭がそうとは言えませんし、本当に少しでも長生きして欲しいと思って身内の生命維持に心血を注いでいる人もいらっしゃるのかも知れません。ですが僕の家族が『祖母を生かしておく理由』は事実これなので、他にも同じような境遇の方はいると思います。

日本の医療技術は世界トップクラスで、長年長寿大国と言われています。
僕も祖母が「いよいよ亡くなりそう」という所からしつこいくらい何度も復活しているところを見ているのでそのレベルの高さを実感しています。まあ本能レベルで祖母が『まだ生きたい』と願っているから未だに命を繋いでいるのかもしれませんがね。

近年、日本の少子高齢化が問題視されていますが、この『年金制度』と『医療レベルの高さ』がその問題に拍車をかけていると思います。

祖母ははっきり言うと人間としてはほぼ死んだも同然であり、こちらが生命維持装置を取り外すだけでいつでも楽に逝ける状態です。しかし自分の意志を伝える術を持たないので最終的な生殺与奪は他者にゆだねるしかありません。

しかし医療定義的に生きている限りは年金を貰うことができ、家族にもその恩恵があるので日本の医療技術の高さを利用して『無理矢理』生かされています。

母は祖母を(恐らく)嫌っているので、仮に年金が大して受け取れなかったとしたらとっくに看護をやめ、自分で働いていたことでしょう。

この『生きている限り金が受け取れる』という年金制度のせいで労働者層の生活は圧迫され続け、充足した暮らしを送ることが出来ず将来への投資を諦め、浅い欲望を日々発散させています。

自分が老いさばらえたときには違う考えになるのかもしれませんが、少なくとも現在の僕は『どんな状態であれ1分1秒でも長生きすればΟK』という社会に賛成できません。
先が見えない長生きのために今を生きる人々の生活を苦しめているのは本末転倒だと思います。なので年金保険料の支払いは希望制にし、現在年金を受け取っている高齢者の方も自分で満足な生活が送れなくなったら支援を打ち切るか、自分が支払った年金保険料以上の金額は受け取れないといった制度に変更した方が日本の未来の為だと思います。

これは結構ヘヴィーな問題なのであまり尖った考えを書くと嫌な気持ちになってしまう人もいるかも知れませんが、今の若者達はそのほとんどが毎日あくせく働いても1人で生きるだけで精一杯の賃金しか貰えないので結婚も出来ないし子供も作れず、そのくせ医療制度は発達しているもんだから高齢者の数は年々増加し、若者の負担は増える一方です。

現在年金を受け取っている方々は「自分たちは長い間働いて年金保険を真面目に払っていたのだから老後にその恩恵を受けるのは当然」と思うことでしょう。
でもこの年金制度のおかしいところって『生きている限りずっと受け取れる』ところ何ですよね。労働者として合計いくら年金を納めたかによらず、生きてさえいればいつかは自分が納めた額以上の年金が受け取れるんです。人間として少しでも得したいという心理は当然あるので、昔支払った年金保険料よりも多く受け取ろうと思うと頑張って長生きしなければいけません。

また、僕の実家事情のように祖母以外の家族にもその恩恵があるから、出来る限り長く生かしておくほうが良いということも当然あります。しかしそれは長い目で見て、本当に日本の未来にとって良いことなんでしょうか?

今月末で平成が終わり、令和という新たな時代が始まります。
今を生きる全ての人々が、真に納得して幸せに暮らせるような社会になってくれることを望んでいます。