何でもいいから、500円くれよ!!

日記・好きな事の考察や感想・オリジナル小説等を書いていきます。

なぜサイヤ人は鍛え続けるのか

www.dbmovie-20th.com

今週金曜日、映画『ドラゴンボール超 ブロリー』が公開されますね。

今のところ観に行くかどうか検討中です。ドラゴンボールファンとしては女房を質に入れてでも見に行くべきなのかもしれませんが僕は原作厨なので(Zはギリ許容)『超』で後付けされた設定やら改編されたキャラクターの性格等が気に入らないのです。

ラストシーンが『復活のF』みたいになられても困るし(笑)

とはいえ、現代の技術で丁寧に製作されたシビれるほど格好良い悟空やベジータ、ド迫力の戦闘シーンを大スクリーンで観たいとも思っています。うーん、迷うなぁ…。

 


まあということで、今回はサイヤ人に関する考察記事です。

ドラゴンボールを読んでいると疑問に思うことがあります。

それはサイヤ人たちが事あるごとに発言する『サイヤ人の壁』や『スーパーサイヤ人を超える』というセリフ。
まあ主に言ってるのはベジータだけなんですが(笑)悟空もナメック星でフリーザと戦う前に「今が殆ど限界だと思っていたのに」やセルゲーム前の休息日に「これ以上やったって意味ねぇって。限界までやったんだ」と自分の成長に限界がある発言をします。

おかしいのは「これが限界だ」と言っておきながら、数年修行すればかつて限界だと感じていた強敵があっさり雑魚扱いにされてしまう点です。とくに悟空なんかはセル戦で降参して悟飯覚醒に賭けたあげく、セルの自爆に巻き込まれて死亡してしまいます。

精神と時の部屋でまだ鍛えられる時間は残っていたのに。

7年後、あの世から1日だけ帰ってきた悟空は超サイヤ人2どころか超サイヤ人3にまで覚醒していました。
そこまで強くなれるなら“悟飯が戦闘中に覚醒するかも”という不確定要素に賭けるよりは、時間が許す限り修行すれば悟空だけでセルに勝てたんじゃないでしょうか。

何故、サイヤ人達は暇さえあれば鍛え続ける割には『限界』発言を繰り返すのか。ご都合主義や作者のさじ加減であることはわかっていますが、考察していこうと思います。

サイヤ人の限界』系発言が作中で初登場したのは、ナメック星に到着した悟空がリクームを瞬殺して、それまで特選隊に苦戦していたベジータ、悟飯、クリリンを驚愕させたシーン。

 

ベジータがワナワナしながらサイヤ人の戦闘レベルをあきらかに超えている」と評します。

 

そもそもサイヤ人の戦闘レベル』って何でしょう?

当時作中で登場したサイヤ人は悟空、悟飯、ベジータ、ナッパ、ラディッツの5人。
サイヤ人襲来編の時点ではベジータとその他サイヤ人では大きな実力差がありました。悟空は界王拳を使ってベジータの戦闘力を上回りましたが、酷使すると体にガタが来るし、使うと赤いオーラが出るので妙な技で戦闘力を無理矢理底上げしていた事はすぐにわかります。

ただでさえ強かったのにナメック星で死闘を繰りかえしたことでさらに戦闘力をグングン上げていくベジータ。自分でもどこまで強くなれるのか未知数なのに、一体何を基準に『サイヤ人の戦闘レベル』という発言が出たのか。

2つの仮説を立てます。

 


その①『戦闘レベル』ではなく『成長レベル』説

悟空がベジータと初対面したときの戦闘力は8000以上。それに対してベジータは18000。
それが1ヶ月かそこらの間にナメック星で再会したら大きく成長したはずの自分が苦戦する相手を涼しい顔で秒殺する悟空。この悟空の成長具合に、ベジータは驚愕したんじゃ無いかという説。
自身が18000から29000前後の成長率に対して下級戦士である悟空が僅か8000から自分の想像を遙かに超える強さを身につけたら、そりゃ驚愕しますわ。

 


その②『歴代サイヤ人の中でも類を見ない強さ』説

同じセリフを現実の人間に当てはめてみましょう。
ウサインボルトや吉田沙保里といったとんでもない身体能力のアスリートが現実にもいますよね。でもそれってあくまで『人間が想像できる範囲内のすごさ』でしかないんですよ。

我々の想像では人間はどれだけ速く走れても100mを9秒以内に走れないし、どれだけ格闘技最強だろうとサバンナで飢えた肉食獣に肉体だけでは勝てない。
それが人類の限界であるという感覚が染みついた我々の前に突如、100mを1秒で走ったり、ライオンを素手で殴って彼方まで吹っ飛ばせる人が現れたとしたら…

「人間の運動レベルをあきらかに超えている」ってなると思うんですよ。

ベジータサイヤ人の王子です。歴代のサイヤ人で強かった人物の情報なんかも知っていると思います。自分もどんどん強くなっているとはいえ、かつての猛者達とそう変わらないレベルの強さに収まっていたとして、それを大幅に上回る強さの悟空を見れば作中の発言も納得できます。

 


どちらにしてもサイヤ人の戦闘レベルをあきらかに超える」とは『ベジータの常識を覆す強さ』であると言うことだということですね。

『常識』は『限界』と同義だと思うんですよ。
我々は今何気なく送っている生活を当たり前の事だと思いがちです。しかし1年前、10年前、30年前と遡れば遡るほど実際は驚くような進化を遂げている事がわかります。

逆に言えば今の技術では限界だと言われていることも、いつかは日常でありふれた光景になる可能性がある…タイムマシーンやクローン人間なんかがそうですね。

サイヤ人に置き換えると『現時点ではこれが限界だけど、鍛え続けりゃいつかとんでもねぇ強さになってるかも』と言う考え方と同じだと思います。そう考えればセルゲームで悟空が悟飯の覚醒に賭けたのも、限界まで鍛えた(と思っている)悟空が考えたその時点での最善策だったのでしょうし、スーパーサイヤ人としての強さは限界を感じているけど、限界を越えた先に未知なる強さが待っているかも知れない。それを手にしたい、見てみたいからサイヤ人達は飽きもせず修行を続けます。

求めたものが手に入るかどうかはわからないけど、毎日努力を怠らず成長を続ける。

それって結構見習うべき姿勢では無いでしょうか?

僕もサイヤ人のように己の限界を極め続け、とんでもない高みにいつか到達してみたいですね。

 

 

 

 

 

f:id:ojisanno500yen:20181212025345j:plain

まあ、こうは言われたくないけど。