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風前の灯火の祖母と年金制度について最近思うこと

※今回はちょっと真面目な社会問題に関する記事です。
不快に感じられる方もいるかも知れないので少しでも「嫌だな」と感じたら
途中で辞めることを推奨します。



4月に入り、皆大好き(?)国民年金保険料の納付書が届きました。

別に払えなくもないのですがその金額は決して安い物では無く、平時に余って残しておいた金が一気に失われるので結構ダメージはデカいです。

僕は酒、タバコ、ギャンブル、女遊び、ファッション、ソシャゲ等の金がかかる趣味がないので毎月普通に暮らしてると絶対黒字になります。たまにデートだったり友達と遊びに行ったりして出費がかさむ月もありますが、大多数の人が一ヶ月にかける生活費よりは安上がりな生活をしていると思います。なお意識して過剰な節制をしているつもりはありません。

そんな僕ですら「年金、高すぎやせんか?」と感じているので僕以上に思う方が世の中の大半を占めていることでしょう。


ということで今回は『社会制度と命』について最近思うことを書き散らしていこうと思います。結構シビアなテーマなので間違えている所やうまく書けていない部分も出ると思いますがよろしくお願いします。

そもそも何故こんなテーマで記事を書こうと思ったかというと、実家の祖母が関係しています。

祖母は現在御年88歳(確か)ですが、生命維持装置を外すとそのまま亡くなってしまうレベルの生死の境にいます。10年くらい前に一緒に住んでいた時期は自分の足で2km先のスーパーまで買い物に行ったり家でもキビキビ動いていろいろやってたので、病院のベッドで何も出来ない今の姿を見るとなんとも言えない気持ちになります。

あらかじめ断っておきますが、僕は祖母のことは『どちらかと言えば嫌い』です。
何故嫌いと思うようになったのか…その詳細は次の機会にとっておくとして、端的に説明すると僕が小学校高学年ぐらいのときに一族レベルの問題が発生した際に、色んな大人達が「諸悪の根源は祖母だ」という話をして祖母を責め続け、僕も実際そう思うところもあったので子供ながら「祖母は悪い人」という意識が芽生えていました。僕が祖母に対して直接なにかするわけではありませんが『出来るだけ関わりたくない、もう会いたくない』とは今も思っています。

そんなあまり印象の良くない祖母の体調が明確に悪くなったのは8年前、僕が神戸で独り暮らしをしているときでした。当時岡山に住んでいた母から「祖母が『くも膜下出血』で倒れた」という連絡を受け、緊急手術で一命を取り留めたものの、後遺症により痴呆になり、入院の影響で骨が弱ったのか背骨もかなり湾曲してしまいました。

祖母と母は「なにかと安心だろう」ということで2人で岡山を離れ、徳島に住んでいた母の弟家族と同居することになり、岡山で1人暮らしを始めていた姉と「ついに一家離散wwww」とネタにしていました。

長期休みで徳島の実家(1日も暮らしたことはないけど定義的にそう呼ぶしかない)に顔を見せると、腰が曲がり痴呆が進んだ祖母が僕の顔を見て随分昔に先立った祖父や自分の息子の名前を呼ぶので、嫌いながらもその変化には戸惑いを隠せませんでした。

その後祖母は何度か病気や怪我を繰り返し、6年前くらいについに寝たきりになってしまい、今日まで入院することになります。僕は東京で仕事を始めていて帰省するのは1年に1、2回になり、祖母の様子を病院へ見に行く度に小さく、衰弱していくのがわかりました。

入院中も何度か生命の危機に晒されることがあり、これまで何度も母から「今年いっぱいかな」とか「今月が山」とか聞かされました。
しかし幸か不幸か祖母はまだ存命しています。もう身動き1つ出来ないし、自分の意志を伝える手段もありませんが医療の定義的に言えば『生きて』います。

ちなみにここまで献身的に看護しているように見える母ですが、母も祖母のことを嫌っています。母にとっては唯一の親なので僕にはわからない思い入れももしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも僕が一緒に暮らしていた時期に祖母に対して悪態をついていた1人であったことは確かなので何故ここまで祖母の看護に熱心なのか正直理解不能です。

5年くらい前からもう祖母は自分から声を発することも出来ず、声をかけてもとんちんかんな返事しかしないし、覚醒と昏睡の境が曖昧な日々が続いていました。そんな『生命活動を維持しているだけの肉塊』となり果てた祖母をみて僕は不謹慎ながら「もう楽にしてやった方が良いのではないか」とずっと思っていました。

入院代や医療費も馬鹿にならないだろうし、母はとある事情で育てている少年(母の弟の息子)の世話と看護で忙しく、働けていない状況なので実家の資金事情が気になった僕はある日、母に尋ねました。

「随分長いこと入院してるけど医療費はどっから出てんの?」

「お婆さんの年金」

祖母は若い頃働くことが好きだったらしく、毎月結構な金額の年金を受け取っているようです。それは祖母にかかる医療費と生活費を合算しても少々余るくらいの金額らしいです。

だから母は祖母を無理矢理にでも生かしているのです。

 


亡くなると年金が受け取れなくなり、自分たちの生活まで脅かされるから。

 


ゾッとしますよね。元気だった頃は「早く○ねばいいのに」とか「もう顔も見たくない」だとか酷い言われようだった祖母を生かしておく理由は『出来るだけ長生きして欲しい』と言う温情ではなく『生きているだけで金が生まれるから』という冷徹で打算的な話なのですから。

そしてその金がどこから発生してるかというと、僕たちが健気に納めている『年金保険料』です。僕は自分が嫌っている祖母が受け取る年金を支える為に、決して安くない金額を納めて日々の生活を圧迫していると思うと、ちょっと腑に落ちません。

全ての家庭がそうとは言えませんし、本当に少しでも長生きして欲しいと思って身内の生命維持に心血を注いでいる人もいらっしゃるのかも知れません。ですが僕の家族が『祖母を生かしておく理由』は事実これなので、他にも同じような境遇の方はいると思います。

日本の医療技術は世界トップクラスで、長年長寿大国と言われています。
僕も祖母が「いよいよ亡くなりそう」という所からしつこいくらい何度も復活しているところを見ているのでそのレベルの高さを実感しています。まあ本能レベルで祖母が『まだ生きたい』と願っているから未だに命を繋いでいるのかもしれませんがね。

近年、日本の少子高齢化が問題視されていますが、この『年金制度』と『医療レベルの高さ』がその問題に拍車をかけていると思います。

祖母ははっきり言うと人間としてはほぼ死んだも同然であり、こちらが生命維持装置を取り外すだけでいつでも楽に逝ける状態です。しかし自分の意志を伝える術を持たないので最終的な生殺与奪は他者にゆだねるしかありません。

しかし医療定義的に生きている限りは年金を貰うことができ、家族にもその恩恵があるので日本の医療技術の高さを利用して『無理矢理』生かされています。

母は祖母を(恐らく)嫌っているので、仮に年金が大して受け取れなかったとしたらとっくに看護をやめ、自分で働いていたことでしょう。

この『生きている限り金が受け取れる』という年金制度のせいで労働者層の生活は圧迫され続け、充足した暮らしを送ることが出来ず将来への投資を諦め、浅い欲望を日々発散させています。

自分が老いさばらえたときには違う考えになるのかもしれませんが、少なくとも現在の僕は『どんな状態であれ1分1秒でも長生きすればΟK』という社会に賛成できません。
先が見えない長生きのために今を生きる人々の生活を苦しめているのは本末転倒だと思います。なので年金保険料の支払いは希望制にし、現在年金を受け取っている高齢者の方も自分で満足な生活が送れなくなったら支援を打ち切るか、自分が支払った年金保険料以上の金額は受け取れないといった制度に変更した方が日本の未来の為だと思います。

これは結構ヘヴィーな問題なのであまり尖った考えを書くと嫌な気持ちになってしまう人もいるかも知れませんが、今の若者達はそのほとんどが毎日あくせく働いても1人で生きるだけで精一杯の賃金しか貰えないので結婚も出来ないし子供も作れず、そのくせ医療制度は発達しているもんだから高齢者の数は年々増加し、若者の負担は増える一方です。

現在年金を受け取っている方々は「自分たちは長い間働いて年金保険を真面目に払っていたのだから老後にその恩恵を受けるのは当然」と思うことでしょう。
でもこの年金制度のおかしいところって『生きている限りずっと受け取れる』ところ何ですよね。労働者として合計いくら年金を納めたかによらず、生きてさえいればいつかは自分が納めた額以上の年金が受け取れるんです。人間として少しでも得したいという心理は当然あるので、昔支払った年金保険料よりも多く受け取ろうと思うと頑張って長生きしなければいけません。

また、僕の実家事情のように祖母以外の家族にもその恩恵があるから、出来る限り長く生かしておくほうが良いということも当然あります。しかしそれは長い目で見て、本当に日本の未来にとって良いことなんでしょうか?

今月末で平成が終わり、令和という新たな時代が始まります。
今を生きる全ての人々が、真に納得して幸せに暮らせるような社会になってくれることを望んでいます。