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日記・好きな事の考察や感想・オリジナル小説等を書いていきます。

5年ぶりの再会

約5年振りぐらいに、専門学校時代に別の学科で世話になった知人に会いました。
彼は役者を志していて、卒業後も数人の有志と共に上京し、バイトをしながら夢に向けて日々精進していました。
それが今年の4月、ついに花開き芸能事務所に所属することが決まったそうです。
これは面白い話が聞けそうだなと思い、自分も話したい事が溜まっていたし忙しい合間を縫って会うことが叶いました。


ちなみに友人ではなく知人というのは何故かというと、学生の時僕はサウンドクリエイト学科で、曲を作る勉強をしていましたが彼は声優タレント学科で、演技やダンスの勉強をしていました。
僕の曲を歌って貰ったり、演劇の際の効果音制作を依頼されたりと、要は学生同士なのに依頼しあうという妙な人間関係で成り立っていたので、信頼はしていたけどプライベートのことは知らないし、遊んだ記憶もほぼありません。
なんで会話するときもため口と敬語がつい混ざってしまいます。

茶店にて学生時代の思い出や卒業後の事、自分が仕事を辞めることなどガッツリ4時間話し込みました。

実際話してみると、彼めちゃめちゃ面白い考え方の人でした。
特に「ピーマンが嫌いな人も好きな人も理由は共通して『苦いから』なんですよ」
って話はかなり心に響きました。
『苦い』って事は決して悪いことではなく、人によって感じ方が違うので「ありのままの自分を出していけばそれが好きだと言ってくれる人もいるだろうし、嫌う人もいるだろう。だから気負わず自然体でいるべきだ」と気づかされました。

話の途中、僕は彼に「もう卒業したし、ため口で話さないの?」と聞いてみました。
すると「僕たち役者は、作品があって初めて演技が出来るのです。作品を作るあなたたちがいないと何にも出来ませんから、尊敬の念を込めてこれからも敬語を使わせていただきます」と返ってきました。


これが同い年か…と僕は自分の矮小さに絶句しました。


仕事をしている間、僕は『相手のことは全く尊敬していないけど怒らせないために仕方なく敬語を使うことにする(本当に尊敬していた人もいますよ!)』って感じだったので自分はなんて恥ずかしい奴だったんだと反省しました。

彼は相手の立場を考えるとか自身のプライドとは無縁の所で、心の底から敬語を使っている。

一緒に仕事をする喜び、自分1人じゃ出来ない事を補ってくれている人に唯々感謝し、尊敬の念を込めて誠実な想いで敬語を使っている。

 


こりゃ彼はいつか大物になるなと思いました。


更に、お金の話になり「貯金はあるの?」とぶっちゃけた質問をしました。
「あるわけないじゃないですかー毎月ヒーヒーですよ」と回答されました。
現在彼は演技の勉強の合間に、日雇いとレンタルビデオ屋のバイトで日々食いつないでいるそうです。
「毎日ちゃんと食べてる?」と続けて僕が質問すると
「それは大丈夫です。毎日食べるだけなら案外なんとかなるんですよ」とさわやかな顔で言われました。

 

その顔に、嘘や迷いはなさそうでした。


厳しい生活環境でも恐れず前に進めるのは

『彼が真心で夢に向かって突き進んでいるからなんだな』と感じました。
思えば学生時代の自分もそんな気持ちで夢に向かって進もうとしていたと思います。
殆どの大人達は『いい年していつまでも夢を見るな。いい加減落ち着きなさい』と注意するでしょう。


いいじゃないですか、何歳で夢見たって。


社会がどうだの、周りの目がどうだの、年相応の立ち振る舞いだの、金だの、立場だの…そんなことはどうでも良いんです。


本当に大事なのは自分がどうしたいか。


自分の人生を幸せにするのは他人でもお金でも権力でも無い。
『自分が満足できる生き方が出来るかどうか』です。
頭では分かっているつもりでした。でもなかなか前に踏み出せなかったのはやはり怖かったからだと思います。
学生時代、岡山から神戸に引っ越して初めての一人暮らしで毎日貧窮していました。それでも日々が楽しかったのは『夢や目標があったから』だと思い出しました。
ただ、現実問題本当に貯金もなくてこのまま卒業して岡山に帰ってもなんにもならんぞと思って必死に就活した結果、東京へ飛ばされる事になったわけですがね(笑)
しかし、6年間の社会人生活でお金は貯まったけど、自分への自信というのはすっかり折られてしまいました。
確かに自分に至らない部分があったり、人間として最低の行為を行ってしまった事も何度かありました。その度に根気よく教育してくれた先輩や上司には感謝してもし尽くせないモノがあります。

でもそれら全てを受け止め、自分なりに成長しようとした結果僕は『潰れて』しまいました。

何でも言われたとおりにこなせる才能が僕にはなかったのです。
毎日嫌だなぁと思いながら仕事していました。こんなはずじゃないと絶望し続けました。
しかし、今の環境に不満を抱きつつも毎月安定した給料は手に入る。明日の食事に困ることはない。

その『安定という名の毒』に僕の心は死にかけていました。
『良い話を作りたい』という夢は空中分解寸前で、何とかしたくてもなんともならない。金はそこそこ貯まったけどもう20代も半ばだし、やりたいことやって失敗した後ちゃんと再就職できるかなぁ、いやこんなダメダメな自分は今の会社を出たらきっとのたれ死ぬ運命だ。
なんて事を自問自答し続け、前に踏み出すことがどうしても出来ませんでした。

 

 


………なんか話がそれてきましたね………この辺については別記事にて語ることにしましょう(笑)

とにかく僕が言いたいのは『自分はなんて中途半端な奴だったんだ』と言うことですね。


嫌な仕事でも毎月安定してお金が貰えるんだから、学生の頃の夢なんかさっさと諦めて我慢して働き続ければ良い。


したいことがあるなら後先考えずただやれば良い。なんかしらやっていれば結果は後からついてくる。


僕はそのどちらにも属せず、両方面でいいとこ取りしようとして結局ろくに成長出来なかったクズ野郎なんです。
今回話題に出ている彼もそうですが、最近色んな夢を持った人たちによく会います。
そんな人たちに共通しているのは『生活は大変だけど目は輝いている』んですよね。
自分は既に別の事情で会社を辞める事は確定していましたが、改めて自分もしたいことをしよう。失敗や成功のことは考えず、ただ自分が『したい』と思ったその気持ちに殉じてみよう。そう強く思えるようになりました。

そう思える勇気をくれたH君。ありがとう。
久々にあってとても良い刺激を貰いました。

いつの日かそうさ僕らは、強い自分自身になれるはず。

そう信じて日々精進し、次に会うときはお互いビッグになった姿を見せ合おう。