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日記・好きな事の考察や感想・オリジナル小説等を書いていきます。

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART2

前回に続き、ポルノへの“遙かなる想いを吠えて”いきます。
個人の意見や多大な妄想が含まれていますので、あらかじめご了承ください。

 

 


≪神vs神というタイトルの何が凄いのか≫

『神』とは最上位である。

ドラゴンボールだと神の上に界王様、大界王様、界王神など更に偉い人たちが山ほど存在するが、現実世界で『神』以上の高位は存在しない。

つまりは天井、山の頂なのだ。

公式では『「神vs神」のタイトル通り、その日その日が「神セトリ」と言ってもらえるような渾身のLIVEをお届けします!!』と高らかに宣言されている。

「神セトリ」「神曲「神ってる」

ファンなら1度は耳にしたり、口にしたことはあるこの言葉。

これを公式が自ら宣言するのはなかなか出来ることではない。
なぜならアーティストとは自分の中に眠っているはずの可能性を信じて、常に成長を続けて新しい姿を求めたがる生き物だからである。

かつて昭仁が作詞した曲『ダイアリー08/06/09』では

“まだ僕の中に眠っている僕がいる
 そう信じているよ照れるけど本当だ”

と歌っているし、晴一も『TVスター』で

“満たされてはいけない
 満たされるために僕は歌うのに”

と、アーティストが抱える哀しき矛盾を的確に表現した歌詞を書いている。

ポルノグラフィティというバンドは、成功に縛られず常に変化と成長を続けてきた。
それは楽曲そのものはもちろんのこと、ライブの構成やサポートメンバーでもそうだ。
例えばライブの演出やセトリの組み方、サポメンの演奏の相性、楽曲の方向性など20年ものキャリアの中では「これはとても良い」と感じた場面も多々あったと思う。
でもそれに固執することなく、あえて崩してみて新しい自分たちを模索し続けた。

その結果、今までのポルノが好きだった人が離れてしまったり、新しい方向性で興味を持って入ってきてくれた人がいたり、1度離れたけどまた戻ってきてくれた人がいたり、何があろうと食らいつき続けてきた人がいたりと、良くも悪くも流動的なファン構成になっている。

思えばその活動方針は、デビュー初期からあったように感じる。
ポルノは新曲を出す度に雰囲気をガラリと変え、新しい衝撃を僕らに与え続けてきた。
キャリアが長くなるとタイアップのオファーがあった時にクライアントから過去の人気曲の雰囲気を求められてそれに答えることもあった(オー!リバルとかね)が、それでも過去と同じ事は極力せず、その時自分たちが出来る最高のパフォーマンスを曲に込めていた。

『最新が最高傑作』というのは長年リアルタイムで新譜を追い続けていた人はよくわかる感覚ではないだろうか。

比較的最近のシングルであるキング&クイーンでは

“限りある人生たとえ満たされても
 留まることを選ぶより
 また次の一歩を刻む
 いつでも挑戦者でいよう”

と歌っていて、まさにポルノの活動方針を象徴した歌詞といえる

しかし『満たされないようにする』ということは逆に言えば永遠に頂点には辿り着けない、つまり『神』になることは出来ないということだ。

もしかしたら、今でもポルノグラフィティは自分たちのことを神だとは思っていないかもしれない。もちろん新曲を出すときは絶対の自信をもってファンに届けるんだろうけど。

そんな彼らが自ら『神』と名付けるLIVE。相当な覚悟がなければつけられるタイトルではないと思う。その覚悟を与えたのは、他でもない我々ファンだ。

ポルノグラフィティの特徴である『多様性』は言い換えれば『迷走』である。

ポルノは変化しすぎるあまり、ときおりコアなファンですら狼狽えたり一般人気を完全に無視したようなマニアックな曲調をリリースすることがある。

しかしどんなときでもどんな曲でも好きだという人がいて、熱心に聴きこんでグッズを買ってライブに足を運んで応援し続けたからこそ、ポルノグラフィティは音楽業界の厳しい波にさらわれることなく現在まで活動できた。

“迷いがちな僕のことを
 受け止めてくれてサンキュー”

昭仁はダイアリー08/06/09でこのように歌った。

ファンがポルノの全てを受け止めている証として、13th LIVECIRCUIT“LOVE・E-mail・from・1999”では開催前にとった全曲アンケートに、バラツキはあれど全ての楽曲に票が入っていた。

そして、横浜ロマンスポルノ'14~惑ワ不ノ森~では
次郎が森を駆け抜けた先にファンがいるという演出の後「惑ワ不ノ森を抜けた先にあったのは…そう君なんです!君なんだ!君なんだーっ!!」という昭仁の叫びがこだまし、ポルノが惑いながらもやってこれたのはファンのおかげだと言ってくれた。

16th LIVECIRCUIT“UNFADED”のMCで昭仁は
「20年続けてこれたのは皆さんがポルノグラフィティを求めてくれるからここまで続いたと思う。ポルノの新曲が聴きたい、LIVEが観たいという声がどんどんワシらに届くから、ここまでやってくることができました。皆さんの声に負けないように色あせないポルノグラフィティでいたいと思います!」とコメントがあった。

ファンの中にはポルノに対するそれぞれの形の『神』があると思う。
個人的には0から1を創造する時点で既に神なのだが、そんな風にファンがいつも感じている尊敬の念に、ポルノは自ら胸を張って『20周年に両日神セトリと呼ばれるようなLIVEを東京ドームでやる』と宣言してくれた。

つまり『神vs神』というタイトルには、満たされることを望まない人たちを神と崇める人に向けた2夜限りの最大級の恩返しの意味が込められていると感じた。

昭仁はライブの最後にいつも「あんたらは最高じゃ!」「胸張っていけー!」「自信持って行けー!」とファンを鼓舞してくれる。それはあるいは、彼ら自身にも向けた励ましの言葉だったのかもしれない。

新しい姿を追求し続けたポルノが、20周年という節目でみせる1つの頂点。

文字通り神話として後世に語り継がれるような素晴らしいライブになるだろう。



余談だが、UNFADED大阪公演のアンケートで『20周年記念ライブは5年区切りでセトリを組んだ4Daysでお願いします』と書いた。あまりにも無茶すぎる要望だが、2Daysで両日別セトリということで半分夢が叶ったようなもんなのでとても嬉しい。
何曲変えるかはわからないが、わざわざ通し券を作るくらいだから最低でも半分は変えて欲しいところだ。まさかの全曲変わろうものならもう神も界王様も大界王様も界王神も通り越してもはやポルノ=全ちゃんと呼ばせていただきます。





次回は、自分がどんな経緯でポルノグラフィティを好きなったのかを書いていこうと思います。

ポルノグラフィティへの想いを本気出して書いてみる PART1

宇宙の広さを記すとき人は何で測るのだろう?
この想いを伝えるとき僕はどんな言葉にしよう?

早速ポルノグラフィティの名曲『ジョバイロ』の歌詞を引用しましたが、今回の記事の内容はまさにこの歌詞の通りで、“僕が抱えているポルノへの想いの大きさは宇宙のように計り知れないが、少しでもそれを他者に伝えるためにどんな言葉を使えばいいんだろう”という状態です。

どのくらいの文量になるか、まさに宇宙の如く想像もつかないけど情熱が赴くまま、僕が持つポルノに対する『想い』をいろんな角度で書いていこうと思います。

 

 


≪16thライブサーキット“UNFADED”感想≫
今更?と思われるかも知れませんがまずは身近な話題から。

今回のツアーは12月31日の大阪城ホール、1月31日の幕張イベントホール、3月8日の横浜アリーナの3公演に参戦。ひとつのツアーに3回も足を運ぶのは初めてで、何より生まれて初めてのポルノで年越しを迎えることが出来たのは感無量だった。

席も大阪ではスタンドBの後ろの方で会場全体が見渡せて客の一体感を味わえ(音響オペ卓のバカでかいデジタル時計まで見えちゃってカウントダウンのタイミングとか完全にわかっちゃったのはアレだけど(笑))、幕張ではアリーナ6列とかいうつま恋以来の激近ポジションを確保し、炎演出の熱気やライブ冒頭の空砲を文字通り肌で感じる事が出来たし(赤テープも1本GETできた)、横浜ではアリーナBのステージ中央よりの席で照明演出や音響を楽しむのに丁度良い場所と3公演全部で違う楽しみ方が出来て非常に満足度が高かった。

ポルノのライブの照明演出はやっぱり凄い。今回は久しぶりに心の底からそう思えた。
ポルノの曲は構成やキメがわかりやすいから、演出家も作りやすいのだろう。しかし「久しぶり」と感じたのはここ数年の演出に満足いってなかったからだ。

過去のライブで「照明が凄い」と感じたのは13thライブサーキット“Love・E-mail・From・1999”のラックや音のない森が最後で、それ以降のライブの照明は個人的には「もっとやれるだろう」と自分が持つ期待感との薄利があきらかにあった。

特に14thライブサーキット“THE DICEARECAST”のANGRY BIRDにはがっかりした。あんなに美味しいキメがたくさんあったのに、サビでストロボ繰り返すだけ…確かバベルの風なんかもストロボ連発の派手で疲れるだけの微妙な演出だったな。

LEMF1999以降、演出家が変わってしまったのだろうと思っていた。まあ人がやっていることだから仕方ない。今後は自分が思い描くよりもグレードの下がった(と自分は感じる)演出に今後はなっていくのだろうとずっと思っていた。

UNFADEDの照明演出は、その不満や不安を見事に吹っ飛ばしてくれた。
特に良かったのはビタースイート、Zombies are standing out、カメレオン・レンズの3曲。これら以外ももちろん良かったが、やはり一風変わった試みがあると印象に残りやすい。
Zombieのイントロの赤白横螺旋とサビ前の上下左右に光線が閉じたり開いたりするのがもうとんでもなく格好良く、美しかった。もう一度みたいので早く映像化して欲しい。

ライブの面白い所は、開始直後からど派手な演出で魅せてくれるのに、時間が経過すればするほど色んな場所の演出が解放されていき、まるでフリーザの変身を見て「現時点ですでにとんでもないのに、一体どこまで変化するんだ?」という先が見えないワクワクを楽しめる点だと思う。

セトリに関してもおおむね満足で、個人的に聴けて良かった曲は
・幸せについて本気出して考えてみた
・ヴィンテージ
・Swing
・前夜
・ビタースイート
・Zombies are standing out
・カメレオン・レンズ
・∠RECEIVER

あたり。中でも大阪城で前夜のイントロが流れたときは人目もはばからず変な声がでた。ていうか完全に泣いてた。前夜の歌詞は自分の心情と重なる所が多々あるので思い入れが深い。まあ前夜に限らず、ポルノの歌詞には共感できるモノが多いので時折『ポルノばかり聴いてるから感性が近づいた』のか『元々そういう感性だからポルノの曲がばちこり嵌まった』のかわからなくなるときがある。
例えばビタースイートの「彼女を壊してしまうもの全てから守ろうとしてきて僕が壊していた」とかラインの「それでもそばにいられるなら微妙な距離さえ愛おしくて」とか小規模な敗北の「生ぬるい日常の中偽物でもやってこれた」とか他にも枚挙にいとまが無いほど自分の考えとリンクする曲があり『ポルノは自分の人生を監視しているのでは?』とつい妄想してしまう。

セトリの中でシングルが占める割合が例年のライブよりも圧倒的に少なく、まさにUNFADED=色あせないというツアータイトルにふさわしかったと思う。

セトリに関して不満があるとすれば、収録曲が1曲も演奏されなかったアルバムがあったことと(バタエフェは最新アルバムやから仕方ないかもしれんけど)もっと掘り下げたレア曲を1つ2つ混ぜても良いのではと思った。

シングル以外の曲が多かったとはいえほとんどの曲は過去のライブで演奏経験があり、ある程度人気があるのはわかっていたと思うので、月明かりのシルビアや曖昧な人たちなどガチで一度も演奏されてないような『忘れられてる疑惑』がある曲もあったらより色あせてないかの確認になったのではないか。

まあその期待はNIPPONロマンスポルノ'19 ~神vs神~までとっておくことにしよう。

とにかく、UNFADEDは何度でも楽しめる過去最高峰のツアーだったことは間違いない。
おもえば20年目突入キックオフライブ、しまなみロマンスポルノの2日目が豪雨中止になり、その補完として全国の映画館で1日目の様子と少々の生演奏をライブビューイングで披露したが、あの日(しまなみ2日目)味わった喪失感、欠落感を埋めるにはまだ足りなかった。ライブを埋めるのはやはりライブしかない。故郷広島で満足いく形のライブが出来なかったという悔しい事実は変えることは出来ないけど、その痛みも受け止めて、ポルノもファンも一緒に前に進むためのツアーがUNFADEDだったんだと思う。
そう思うと、本編最後に演奏された∠RECIVERはその映像演出も相まってより感慨深いモノになる。

“僕たちがコントロール出来ることはほんの少し
 ほとんどの出来事には関われないとしても
 この星の裏側でも僕たちの足下でも
 起こりうる出来事から逃げない受信者(∠RECEIVER)でいたい”

8年前、東日本大震災の復興支援の面もあったつま恋ロマンスポルノ'11~ポルノ丸~でアコースティックバージョンで演奏された∠RECEIVER。もちろんあの時も感動したし、昭仁の声を嗄らしながらも叫んだ「逃げない!」の力強さは未だに胸に残っているけど、今回の∠RECEIVERはポルノに関わったほとんどの人の心により深々と突き刺さったのではないかと思う。

しまなみの豪雨があったからこそポルノはファンの優しい対応を知れたし、ファンもポルノチームのアフターケアの良質さを体験することが出来たし、お互いより強い信頼関係が芽生えたのではないだろうか。

まさに雨降って地固まるというやつだ。

こうして振り返ると、なんだかしまなみからUNFADEDまでがひとつの物語だった様にも思える。

そして次の物語は神vs神へと繋がっていく。

横浜で初めて発表を聞いたときはそのタイトルに爆笑してしまったが、ポルノが自分のライブに“神”とつける事がどれだけ凄いことなのかを





次回説明する。

一昨日、家で起こった珍事件

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🐯上記画像と記事の内容は、一切関係がございません🐯

 

 

 

朝、仕事が終わって家に帰ると彼女が寝ていた。

僕らの生活リズムは真逆で、彼女が仕事の日は僕が帰った数分後に入れ違いで家を出るというサイクルが基本だが、この時間になっても寝ているということは、つまり今日は休みだということだ。

 

「今日なんか予定ある?」

僕は仕事着をハンガーに掛けたりしながら、布団にうずくまる彼女に聞く。

「とくにない」

気怠そうな返事。昼まで夢の中で過ごすつもりだな、と察した僕は部屋着に着替え、歯を磨くと早々に布団に潜り込む。半日後にやってくる出勤時間に備えて、早めに睡眠時間を確保して少しでも体力回復しなければならない。
最近仕事が忙しくなり、肉体を酷使することが増えて疲労が溜まってせいか、自分にしてはめずらしくすんなりと入眠することが出来た。

 

3時間後、熟睡する僕を彼女が呼び覚ます。

「大変!大変!」

なにやら大騒ぎしている。一体何事だ?重い頭をあげ、ヤニがこびりついた眼をこすると、目の前に拡がる光景に驚愕した。

部屋中が真っ白な煙に包まれている。それはまるで霧の日の山奥か、開演前のライブ会場のような雰囲気だ。部屋と同じく頭まで真っ白になっていると、続けてこれまで嗅いだことの無い独特な刺激臭が焦げ臭さと共に鼻孔を通り抜けた。

「そっちの窓開けて!」

彼女は慌ててベランダの窓を明けたりしている。僕は布団が敷いてある和室の窓を開けつつ聞いた。

「一体何があったの?」

「インスタントラーメン食べようと思ってレンジでチンしたらレンジから煙が出た!!

つまりこの匂いはプラスチックが溶けた匂いということか?有害物質が発生している可能性がある。このまま煙を吸い続けるのは不味いと判断し、唯一煙の影響がなかった別室に避難した。

 

彼女に詳細を聞くと、いつものようにレンジでラーメンをつくる容器にインスタント麺を入れてレンジを使うと3~4分で焦げ臭い匂いと煙が発生し、あわてて止めてレンジの扉を明けたら部屋中に煙が拡がったということだ。

家のレンジは僕が独り暮らしをはじめた頃に購入し、もう9年目になる。そろそろガタがきてもおかしくは無いとは思っていたが、最悪火災が発生するような深刻なトラブルが起こるとは想定してなかった。避難した部屋にはパソコンが有り、突然レンジから煙が出るような事故は前例があるのか調べることにした。


何件かサイトをめぐり、原因はレンジ内に付着した食べ物のカス等の汚れが発火するケースや水分が少ない食材を長時間加熱する事等であることが判明。

思えばこの9年間レンジの掃除なんてやった覚えが無い。ついにあらゆる汚れが牙をむいたのかぁと反省しつつ、念のため彼女に「…まさかインスタント麺に水いれずにレンジにかけたとかないよね?」と聞いた。

最初「まさかぁ」とでも言いたげに笑う彼女だったが、一瞬眉をひそめて左斜め上に視線を移すと、その表情はみるみる青ざめていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………入れてないわ(笑)」

 

 

 

 


原 因 そ れ だ よ ! ! ! ! ! 

僕は頭が痛くなった。煙のせいかな?

ある程度換気できるまで外に退避することにし、外食したり公園でボーッとしたりして夕方家に戻る。煙は完全に無くなったが独特な匂いはまだ辺りを漂っていた。その処理はドラックストアで購入した消臭剤に任せることにし、レンジ内に残されたインスタント麺容器の様子をみる。熱くはないけど強烈な焦げ臭を放っていたのでレンジのプレートごと外へ追い出すことに。

 

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内部でダークマターが錬成されているのが蓋をしていてもわかる。

一体中はどうなってしまっているのだろう…恐怖と好奇心がない交ぜになった僕はミイラが入った棺桶を開けるように恐る恐る蓋を取った。

※閲覧注意

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リンク先モザイクなし(素材の味をそのまま生かしています)

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想像以上におぞましいクリーチャーがいた。
黒い。黒すぎる。松崎しげると良い勝負。周りがかろうじて麺っぽい色合いが残っているのが逆にエグい。これほど『闇堕ち』という表現がしっくりくる状態もないだろう。おまけに真ん中のコアはなんだ。この世のあらゆる邪念が集約してんのか?





もっと近くで見たい方のために、光度を上げ接写しました☆

※大いに閲覧注意

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リンク先モザイクなし(素材の味を(ry))

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ojisanno500yen/20190420/20190420023031.jpg



周りに跳ねた油が禍々しさを増幅している。宙に浮かべたら、こんな見た目の惑星がありそうだ。茶色の部分がうねうね蠢くタイプのヤツ。


…あったら嫌だなぁ。

その後こげ臭さが残る部屋でちょっとだけ二度寝し、無事寝不足のまま出勤しました。

 

この事件を我が家では『白い霧事件』と称し、永劫語り継ぐことにする…ってなんでや!













…これがこのブログの100本目の記事というね(笑)

祖母の葬儀に参列して思ったこと

※前回に続いて今回もデリケートなテーマの記事です。
読んでいて不快に感じたら遠慮せず途中で止めてください。

 


4月6日(土)の午後10時46分、前回のブログで触れた祖母が息を引き取り、葬儀に参列しました。ブログに書いたその日の晩に亡くなったのは妙な巡り合わせを感じますが、葬儀を通して感じたことを『想い』『金』『愛』の3テーマでつらつらと書いていきます。

 


<想い>

正直な話、母から訃報の連絡を受けたとき葬儀に参列するかどうか少々悩みました。
亡くなったという事実を前にしても祖母に対して特に感情が動くことはありませんでしたし、東京から実家(笑)である徳島までの往復の交通費や礼服の用意、2、3日バイトを休むことによる収入の低下等が主な理由ですが、祖母の遺体と直接対面すれば何か心が動くかもしれないし、ずっとそばにいた母や叔父たちがどんな様子なのかも気になるし、なによりこれもひとつの社会勉強だと思うことにし、参列を決意。

結論からいうと、祖母に対しては終始なんの感情も沸いてきませんでした。
母や叔父はときどきすすり泣いていましたが、自分や姉は祖母と一緒に暮らした日々があるにも関わらず、現地に到着して遺体と対面しても、告別式で声をかけても、納棺で花を添えても、火葬中も骨上げしても「ここまで感情が欠落していたのか」と自分でも驚くほど欠片も込み上げてくるものはありませんでした。

※念のため言っておきますが、いち故人を弔うという気持ちは持ち合わせていたつもりです。

元々、祖母に対する想いが皆無なせいもありますが、自分が『死』に対してそれほどネガティブなイメージがないからかなと思います。

病気や怪我で日を追う毎に動かなくなっていく身体。そんな苦痛まみれの肉体から解き放たれ自由になるという『救い』の面が『死』にはあると考えています。

死が辛く哀しいものとして扱われるのは、故人との関係をこれ以上続けることが不可能になってしまった現世の人々が『もっとしたかった・言いたかったことがあったのに』という後悔の念が強いからなのかなと思います。

そうはいっても、この世の全てはいつか終わりますからね。

死んでから嘆き悲しむくらいなら、生きてる内に心ゆくまで会えばいいじゃないですか。
生きていても会ってない間は実質死んでいるようなものですし。

ていうか自分もいつか死ぬんだから、結局いつかあの世で会えるならなんの問題もないですよね?『会ってない間は実質死んでる』理論の延長になりますが。

まあここまでの論は自分がまだまだ人生のひよっこのせいもあるので、本当に大切な誰かとの別れに遭遇したとき、自分がどんな表情をするのかちょっと想像が出来ませんね。案外すさまじく号泣するかもしれません。

今のところは祖母の他界よりもイチローの引退やJanne Da Arcの解散や今年の1月に若くして亡くなったアバンティーズのエイジくんのほうが心が揺らぎましたね。
引退や解散もある意味『死』と同じですからね。どんな形であれ全てのものはいつか終わると考えて、いつ終わっても後悔しないような日々を送りたいものです。

 


<金>

ここからはちょっと話は変わって、葬儀・宗教というビジネスについて思ったことを書きます。

僕はそもそも『あの世なんて存在しない』と考えていて、物語としての神話や心霊関係のネタは大好物なのですが、現実で世界中のあらゆる宗教が自分たちの『あの世のイメージ』をすり込んで関連グッズを買わせたりイベントを催したりするのが気に入りません。

そもそも本当にあの世という世界があるなら、宗教によってあの世の世界観がバラバラなのはおかしいですよね?(それとも国によって風土が違うからそれと同じ事なのか?)埋葬方法だって様々ですし、弔い方もいろいろです。

自分が見えない、知らない世界を『自分の理解を超えているから無い』と言い切るのも浅はか甚だしいとは思いますが、臨死体験してる人だってテレビや世間で植え付けられた死後の世界のイメージを夢に見ているだけじゃないかと思いますし、まあこればっかりは科学的に説明が出来ないので結局自分が死んでみないと答えはでないですよね。

僕が問題視しているのは、死者への弔いや仏様への御供えを理由に絢爛豪華な装飾の仏閣を造ったり、演出として哀しげなBGMをかけたり、パチンコ屋の新装開店みたいにケバい華の置物を並べて遺影を飾ったりするビジネス臭い部分です。

結局この世は仕事と金で出来ていて、葬儀業界の方々がいないとそこら中で死体があふれかえって大変なことになりそうだから『社会を上手にまわすシステム』として必要なお仕事だとは思いますが、葬儀を通して正直思ったのが「無駄が多いなぁ」という感想です。

特に無駄だと思ったのは『通夜は遺体の前で一夜を過ごし、蝋燭や線香の火を絶やしてはならない』というルール。これは火があの世とこの世を結ぶ役割が有ると考えられていて、霊魂があの世で迷わないよう灯火を道しるべにして見守るという理由と、昔は死臭をかき消したり動物が寄ってくるのを防ぐ目的があったそうですが、最近では火災の危険や心身の問題もあり地域によっては風化している所もあったり「無理してやらなくても良い」というルールになっていて「そんな簡単に変更出来るルールならやはり迷信では?」という疑問が拭えませんよね。まあ気持ちが大事と言われればそれまでですが。

 

あと、出棺時に飾られていた生花を無造作にちぎって棺に入れるのも気になりました。花だって命ですよね?意思疎通ができないからといって一方的に燃やされるのは花としても不本意ではないでしょうか。どうしても花を添えたいというのなら、1本だけ選んで感謝と謝罪の気持ちを込めて添えた方が良いのではと思いました。

まあどっちにしても花はしゃべらないのでどう思おうが人間の勝手なんですけどね。

死人に口なしとはよく言ったもので、祖母は盛大に葬式をして欲しいとは望んでいなかったかもしれないじゃないですか。まあ生きてる側が死者を弔う際の精一杯の手向けと思えなくも無いですが、それってつまり『生きてる側の自己満足』でしかないですよね?



今ふと思ったんですけど、もしかして葬儀って死者のためというより、生きてる側が決別するための式なのか…?

もしそうだとしたらお金と労力をかけて儀式をするのも多少合点はいきます。


「あの人はこんな素敵な用意で極楽へ逝ってくれた」
「だからもう心配ない。自分たちははやく日常に戻ろう」

そう言い聞かせて前に進む為の式なのかもしれません。

とはいっても僧侶が仰っていた「最近は葬儀をされない方も多いですが、されないと魂がずっと現世を彷徨うことになりますので、皆様是非葬儀をして仏様を極楽へ導いてください」という言葉はつまり「最近儲けが少ないからもっと葬式に金使ってください」という意味だと捉えてしまいました。自分ひねくれてますかね?

とにかく、あの世にまつわるアレコレは自分が死ぬか、超凄い霊能者が現れて自分に体験させてくれるまでは絶対に信じません。

そういえば『死』とは何か数日考えているときに『心臓や脳波が停止しているからと言って死んでいるとは限らないのでは』という想像をしてしまいました。

実際蘇生の可能性がある死後24時間以内は火葬してはいけないという決まりになってはいますが、もしかしたら「肉体的には死亡と判定されても『自分という意識』はずっと生き続けているかもしれない」です。

ちょっと説明が難しいんですけど、睡眠中って眠っている間の時間は認識出来ないじゃ無いですか?起きるときに『自分を動かしている何か』が身体に命令を下して覚醒するわけですが、それって肉体が機能不全に陥った場合でも同じ事なんじゃないかと思ったんですよね。

つまり『活動したい、起き上がりたいという意識は存在するけど、肉体は全く動かないし、周りは死者扱いするから意識が残ったまま埋葬されちゃう』という恐ろしい事になっているのかもしれないなぁと想像したというわけです。

火葬されて肉体が物理的に無くなったらじゃあその意識はどこへ行くの?という疑問が残りますがもしかしたらそれを『霊体』あるいは『魂』と呼ぶのかも知れませんね。
自分の今の所の考えとしては死んだら『無』になって、いつのまにか別の何かとして再び自我を持ち現世のどこかで次の『無』に向かって進むんだろうなと思っています。

 


<愛>

最後に、愛について。


前回の記事で『母は金のために介護を続けている』と書きましたが、僕は母が祖母に対して愛情があったのかわかりませんでした。それを確かめる目的もあり葬儀に参加したのですが、たびたび流す涙を見ても確証が持てません。雰囲気に流されて悲壮感に酔っているだけなのではと思っていました。(自分で書いててなんだけどマジで最低な感想)

まあそう思ってしまうのは僕が見てきた2人の関係が非常に険悪だったからですけどね。

そこで通夜の時に思い切って「亡くなったときにどう思った?」と訪ねました。
母は「そりゃあ寂しかったよ」と答えました。

母と祖母は親子です。遠い昔、僕が生まれるずっとずっと前から、一緒の時間をたくさん過ごしてきました。だから僕が知らない積み重ねた想いがあるのかも知れません。

そもそも愛情がないと8年以上も縁もゆかりもないド田舎で介護生活なんて出来ませんし、自己満足かも知れませんが正式な葬儀を行って華々しく送ってあげたいという想いは、愛故の行動だと思いました。疑問が全て拭えた訳ではありませんし、正しい答えを探すことがそもそも見当違いなのかもしれませんが『愛の輪郭』のようなものはちょっと見えたような気がします。

まあ、それはなんだかんだ言って葬儀に参列してた自分も同じかも知れませんけど。

ただ、母は死を目前にした祖母の容態報告に絵文字を使ったり『マジ命の尊厳と看取りのあり方に悩む』とか『ヤベ~な!!こりゃ😰』等、緊張感の欠片も亡い文面を平然と送ってきて(わざと砕けた内容にして平常心を保とうとしていたのかも知れないけど)息子でも狂気を感じる所があるので母の感性に全て納得がいくわけではありません。

近い将来、自分はこの母が亡くなったときにどんな反応をするのだろう?

東京に来て8年。めっきり会う機会が少なくなった母は会う度に確実に「老いて」いっています。いつか来る別れのときには、少なくとも後悔の涙は流したくないですね。

 

 


余談ですが火葬の際にふと思った事。

祖母の身体は火葬されて骨だけになり、一部を骨壺へ納めました。
残った部分を火葬業者がどんな処理をしたのかは不明ですが『祖母の身体が自然に還った』ということは、地球に少しづつ祖母が散りばめられているのかなぁと思うと、極端にいえば命は永遠であると捉えられるし、大切な人を失った後に「自然の一部になってあの人が生きている」と全人類が思えれば、醜い争いや環境破壊は起こらなくなるんじゃないでしょうか。

誰だって大切な人を破壊したいとは思わないですよね?

大切な人との別れには、世界平和へのヒントが隠されているような気がします。

風前の灯火の祖母と年金制度について最近思うこと

※今回はちょっと真面目な社会問題に関する記事です。
不快に感じられる方もいるかも知れないので少しでも「嫌だな」と感じたら
途中で辞めることを推奨します。



4月に入り、皆大好き(?)国民年金保険料の納付書が届きました。

別に払えなくもないのですがその金額は決して安い物では無く、平時に余って残しておいた金が一気に失われるので結構ダメージはデカいです。

僕は酒、タバコ、ギャンブル、女遊び、ファッション、ソシャゲ等の金がかかる趣味がないので毎月普通に暮らしてると絶対黒字になります。たまにデートだったり友達と遊びに行ったりして出費がかさむ月もありますが、大多数の人が一ヶ月にかける生活費よりは安上がりな生活をしていると思います。なお意識して過剰な節制をしているつもりはありません。

そんな僕ですら「年金、高すぎやせんか?」と感じているので僕以上に思う方が世の中の大半を占めていることでしょう。


ということで今回は『社会制度と命』について最近思うことを書き散らしていこうと思います。結構シビアなテーマなので間違えている所やうまく書けていない部分も出ると思いますがよろしくお願いします。

そもそも何故こんなテーマで記事を書こうと思ったかというと、実家の祖母が関係しています。

祖母は現在御年88歳(確か)ですが、生命維持装置を外すとそのまま亡くなってしまうレベルの生死の境にいます。10年くらい前に一緒に住んでいた時期は自分の足で2km先のスーパーまで買い物に行ったり家でもキビキビ動いていろいろやってたので、病院のベッドで何も出来ない今の姿を見るとなんとも言えない気持ちになります。

あらかじめ断っておきますが、僕は祖母のことは『どちらかと言えば嫌い』です。
何故嫌いと思うようになったのか…その詳細は次の機会にとっておくとして、端的に説明すると僕が小学校高学年ぐらいのときに一族レベルの問題が発生した際に、色んな大人達が「諸悪の根源は祖母だ」という話をして祖母を責め続け、僕も実際そう思うところもあったので子供ながら「祖母は悪い人」という意識が芽生えていました。僕が祖母に対して直接なにかするわけではありませんが『出来るだけ関わりたくない、もう会いたくない』とは今も思っています。

そんなあまり印象の良くない祖母の体調が明確に悪くなったのは8年前、僕が神戸で独り暮らしをしているときでした。当時岡山に住んでいた母から「祖母が『くも膜下出血』で倒れた」という連絡を受け、緊急手術で一命を取り留めたものの、後遺症により痴呆になり、入院の影響で骨が弱ったのか背骨もかなり湾曲してしまいました。

祖母と母は「なにかと安心だろう」ということで2人で岡山を離れ、徳島に住んでいた母の弟家族と同居することになり、岡山で1人暮らしを始めていた姉と「ついに一家離散wwww」とネタにしていました。

長期休みで徳島の実家(1日も暮らしたことはないけど定義的にそう呼ぶしかない)に顔を見せると、腰が曲がり痴呆が進んだ祖母が僕の顔を見て随分昔に先立った祖父や自分の息子の名前を呼ぶので、嫌いながらもその変化には戸惑いを隠せませんでした。

その後祖母は何度か病気や怪我を繰り返し、6年前くらいについに寝たきりになってしまい、今日まで入院することになります。僕は東京で仕事を始めていて帰省するのは1年に1、2回になり、祖母の様子を病院へ見に行く度に小さく、衰弱していくのがわかりました。

入院中も何度か生命の危機に晒されることがあり、これまで何度も母から「今年いっぱいかな」とか「今月が山」とか聞かされました。
しかし幸か不幸か祖母はまだ存命しています。もう身動き1つ出来ないし、自分の意志を伝える手段もありませんが医療の定義的に言えば『生きて』います。

ちなみにここまで献身的に看護しているように見える母ですが、母も祖母のことを嫌っています。母にとっては唯一の親なので僕にはわからない思い入れももしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも僕が一緒に暮らしていた時期に祖母に対して悪態をついていた1人であったことは確かなので何故ここまで祖母の看護に熱心なのか正直理解不能です。

5年くらい前からもう祖母は自分から声を発することも出来ず、声をかけてもとんちんかんな返事しかしないし、覚醒と昏睡の境が曖昧な日々が続いていました。そんな『生命活動を維持しているだけの肉塊』となり果てた祖母をみて僕は不謹慎ながら「もう楽にしてやった方が良いのではないか」とずっと思っていました。

入院代や医療費も馬鹿にならないだろうし、母はとある事情で育てている少年(母の弟の息子)の世話と看護で忙しく、働けていない状況なので実家の資金事情が気になった僕はある日、母に尋ねました。

「随分長いこと入院してるけど医療費はどっから出てんの?」

「お婆さんの年金」

祖母は若い頃働くことが好きだったらしく、毎月結構な金額の年金を受け取っているようです。それは祖母にかかる医療費と生活費を合算しても少々余るくらいの金額らしいです。

だから母は祖母を無理矢理にでも生かしているのです。

 


亡くなると年金が受け取れなくなり、自分たちの生活まで脅かされるから。

 


ゾッとしますよね。元気だった頃は「早く○ねばいいのに」とか「もう顔も見たくない」だとか酷い言われようだった祖母を生かしておく理由は『出来るだけ長生きして欲しい』と言う温情ではなく『生きているだけで金が生まれるから』という冷徹で打算的な話なのですから。

そしてその金がどこから発生してるかというと、僕たちが健気に納めている『年金保険料』です。僕は自分が嫌っている祖母が受け取る年金を支える為に、決して安くない金額を納めて日々の生活を圧迫していると思うと、ちょっと腑に落ちません。

全ての家庭がそうとは言えませんし、本当に少しでも長生きして欲しいと思って身内の生命維持に心血を注いでいる人もいらっしゃるのかも知れません。ですが僕の家族が『祖母を生かしておく理由』は事実これなので、他にも同じような境遇の方はいると思います。

日本の医療技術は世界トップクラスで、長年長寿大国と言われています。
僕も祖母が「いよいよ亡くなりそう」という所からしつこいくらい何度も復活しているところを見ているのでそのレベルの高さを実感しています。まあ本能レベルで祖母が『まだ生きたい』と願っているから未だに命を繋いでいるのかもしれませんがね。

近年、日本の少子高齢化が問題視されていますが、この『年金制度』と『医療レベルの高さ』がその問題に拍車をかけていると思います。

祖母ははっきり言うと人間としてはほぼ死んだも同然であり、こちらが生命維持装置を取り外すだけでいつでも楽に逝ける状態です。しかし自分の意志を伝える術を持たないので最終的な生殺与奪は他者にゆだねるしかありません。

しかし医療定義的に生きている限りは年金を貰うことができ、家族にもその恩恵があるので日本の医療技術の高さを利用して『無理矢理』生かされています。

母は祖母を(恐らく)嫌っているので、仮に年金が大して受け取れなかったとしたらとっくに看護をやめ、自分で働いていたことでしょう。

この『生きている限り金が受け取れる』という年金制度のせいで労働者層の生活は圧迫され続け、充足した暮らしを送ることが出来ず将来への投資を諦め、浅い欲望を日々発散させています。

自分が老いさばらえたときには違う考えになるのかもしれませんが、少なくとも現在の僕は『どんな状態であれ1分1秒でも長生きすればΟK』という社会に賛成できません。
先が見えない長生きのために今を生きる人々の生活を苦しめているのは本末転倒だと思います。なので年金保険料の支払いは希望制にし、現在年金を受け取っている高齢者の方も自分で満足な生活が送れなくなったら支援を打ち切るか、自分が支払った年金保険料以上の金額は受け取れないといった制度に変更した方が日本の未来の為だと思います。

これは結構ヘヴィーな問題なのであまり尖った考えを書くと嫌な気持ちになってしまう人もいるかも知れませんが、今の若者達はそのほとんどが毎日あくせく働いても1人で生きるだけで精一杯の賃金しか貰えないので結婚も出来ないし子供も作れず、そのくせ医療制度は発達しているもんだから高齢者の数は年々増加し、若者の負担は増える一方です。

現在年金を受け取っている方々は「自分たちは長い間働いて年金保険を真面目に払っていたのだから老後にその恩恵を受けるのは当然」と思うことでしょう。
でもこの年金制度のおかしいところって『生きている限りずっと受け取れる』ところ何ですよね。労働者として合計いくら年金を納めたかによらず、生きてさえいればいつかは自分が納めた額以上の年金が受け取れるんです。人間として少しでも得したいという心理は当然あるので、昔支払った年金保険料よりも多く受け取ろうと思うと頑張って長生きしなければいけません。

また、僕の実家事情のように祖母以外の家族にもその恩恵があるから、出来る限り長く生かしておくほうが良いということも当然あります。しかしそれは長い目で見て、本当に日本の未来にとって良いことなんでしょうか?

今月末で平成が終わり、令和という新たな時代が始まります。
今を生きる全ての人々が、真に納得して幸せに暮らせるような社会になってくれることを望んでいます。

桜の思い出

桜が見頃ですね。
近所の河川敷でも美しい桜並木が続いているので、明日辺りお花見でもしたいな~なんて思っています。

ということで今回はそんな桜に関する昔のアホエピソードを紹介したいと思います。



―――20年くらい前、当時小学校低学年だった僕には武田くん(仮名)という友達がいた。
母親同士も仲が良く、よくお互いの自宅でお茶したりしていた。

武田くんが住んでいるマンションの近くに広い公園があり、公園の周囲には桜が植えられていて春になって見頃を迎えると、近隣の住民はそこでささやかな花見を楽しんでいた。

僕らも花見をしようという事になったある年の春休み、花見決行日の前夜に大雨が降った。当日朝、雨は止んでいたもののそこら中に水たまりを作った公園で僕たちはブルーシートやらランチボックスやらを抱えて立ち尽くす。

前日まで満開だった桜は半分ほど散ってしまい、天候によって見頃のピークを強制的に終わらせられた桜たちはどこか寂しげだった。

気分もすっかり落ち込んだ僕たちは、気を取り直して武田くんの家でお茶会をしようということになり、公園を出てマンションへ向かって歩き出す。

公園沿いの道を歩いていると、用水路の中を散った桜の花びらが満たしているのが目に入った。花びらが隙間なく敷き詰められた用水路がなんだか桜色の高級絨毯のように見えた僕は、いきなり用水路の中に飛び込んだ。

周囲に水飛沫を爆散させ、僕の身体は一気に腰まで水に浸かる。その突然の奇行に呆気にとられた武田くんや親たち。

「あんたなにやってんの!?」

母は狼狽しつつ僕に手をさしのべる。

「……ふかふかしてそうだったから……」

びちゃびちゃになったズボンに大量の花びらを付着させて陸へ上がる僕。
微妙な空気の中、武田くんちの玄関で武田くんのズボンと下着を借り、履き替えてすっきりした僕は武田くんとゲームをして遊んだ。

なお、それ以来武田くんは僕に距離を置くようになり、クラス替え以降は口も聞かなくなりましたとさ。

 


☆めでたし(΄◉◞౪◟◉`)めでたし☆



…いや改めて思い返してみても奇行ですね。
古い記憶なんで細かいところが違ったり、そもそも友達の名前が武田くんだったかも怪しいですが、桜の花びらが敷き詰められた用水路に自分の意志で飛び込んだのはガチのマジです。
自分のイメージでは大量に桜があるのでふわっとした感触が楽しめると思ったんでしょうね。まあ大雨が降った次の日の用水路に水が流れていないわけがないんですけどね。

というわけで、昔やっちゃった意味不明な珍行動でした。


それでは皆さん、良き花見ライフを☆

現場責任者の名前を4ヶ月間も間違え続けていた話

突然ですが僕は人の名前を覚えるのがめちゃめちゃ苦手です。


進学や就職で新たな人間関係が構築される度、顔と名前が全員一致仕切るまでに余裕で3ヶ月~半年はかかってしまいます。

のちに親密な関係になる人たちですら最初は名前を全然覚えていません。
(相手はとっくにこっちの名前をフルネームを覚えているというのに…(^_^;))

でも日本語というのは便利なもので、声をかけるときに「あの」「すみません」「失礼します」等を頭につけることで、ほとんどの局面を相手の名前を呼ぶことなく済ませてしまえるのです。

今回はそんな感じで僕が相手の名前を呼ぶことを避け続けた結果起きてしまった、恥ずかしい失敗エピソードをお話しします。


※全て解決した状態から書いているので伝わりにくい箇所がある可能性があります。あらかじめご了承ください。



―――昨年の11月中頃、現在勤めている工場へ初出勤した日。

「現場責任者のIです」
そう名乗って僕に工場内を案内してくれた現場責任者のIさん。

名前が全然覚えられないことを自覚していた僕は対策として“その名前と近い有名人や漫画やアニメのキャラクターと結びつけて覚える”という作戦を取ることにしていました。

Iさんのお名前で僕が連想したのは某麻雀漫画に登場する盲目の代打ち。

見た目も多少似ている気がしたのでIさん=盲目の代打ちということで脳内インプットが完了します。



メモして覚えればいいのに。

というツッコミは一切受け付けません。



工場内では20数名が働いており、その中にAさんという若そうなのにそこそこ重要そうなポジションで働く、珍しい名字の方がいました。

聞き慣れない名字だったので連想づけの必要なく一瞬で海馬にすり込まれていった『A』という名字。

しかし、Aさんと僕は仕事中に関わる機会がほとんどなく、いつのまにか僕の脳内では若くてしっかりしてる人≠Aさんという数式が成り立ち、“若くてしっかりしている人の名前は知らないけど『A』という珍しい名字の人が職場にいるのは知ってる”という自分で書いても意味がわからないアホ丸出しの解釈を行っておりました。

そんな状態になった僕は今度は「じゃあ『A』さんって誰のこと?」と職場で関わった数少ない人間関係からAさんを導き出そうとします。

この時点で働きはじめて2ヶ月ほど経過していたと思います。前述したとおり声をかける時は「あの」「すみません」「失礼します」で始めていたので自信を持って(←信用できんが)名前を覚えていたのは3人くらいでした。



Aさんを誰と結びつけるか、僕なりの意味不明な解釈が発動します。



(…現場責任者の方の名前が『A』だな。ばっちり覚えてるぜ…!)



脳内から盲目の代打ちが綺麗さっぱりいなくなってる狂気の沙汰。



現場責任者の方はオーラがあるというか、外見からただ者ではない感が漂っていたので、それが珍しい名字『A』と結びついてしまったのですね。


自分で書いてても頭イカれてんのか?って思いますね。


でももはや疑う余地がないほど脳内で“現場責任者=Aさん”という公式が完璧に成り立ってしまい、そのまま名前を呼ぶことなく1ヶ月ほど経過したある日。

業務に関することでふとした疑問が浮かんだので、僕は前を歩いていたAさん(実際はIさん)に声をかけることにしました。


「あの、Aさん…」

 

 

 


何を血迷ったか名前を呼んでしまいました。


するとAさん(実際はIさん)は大げさな口調で



「ぶっぶ~、オレはAじゃないでーす!」



と振り向きつつ言われ、僕は頭が真っ白になりました。
その時の僕にとっては「『1+1=2』は間違いです」と教えられたような衝撃でした。

(……え…じゃあ目の前のこのおっちゃんは…誰…?)

脳内がざわ…ざわ…しています。
おそらくあごや鼻も鋭利に尖り、背景はグニャ~アと歪曲していたことでしょう。



「Aくんならトイレにいるけど、用事あるなら呼ぼうか?」

おっちゃんはわざとらしい心遣いを発揮し、Aさんに声をかけようとします。

「いやいやいやいや、良いです。大丈夫です!失礼しました!!」

質問も大した内容ではなかったし、名前を間違えてしまった恥ずかしさから逃げるようにその場を立ち去りました。

それ以来“現場責任者の名前は何なのか”思い出そうとしたり独自に情報収集する日々が始まります。ぶっちゃけ誰かに聞いたら一発でわかる事なのですが、それはなんか負けた気がするのでしたくありませんでした。(恥を上塗りたくないという貧相なプライドを抱え込んでいるとも言う)

最初に自己紹介された時から既に3ヶ月以上過ぎ、名を名乗られたというシーンだけは覚えているが、肝心の名前が欠片も思い出せない。衣服に名前がわかるアイテムを身につけているわけでもないし、更衣室で使用しているロッカーを見ても名前が書いてない。

(あーマジでなんて名前だったっけー…完全に思い出すまで謝ることも声をかけることも出来んぞ…)

と連日頭を悩ませていたある日、シフト表に並んだ名前をみて僕はあることを思い出しました。





そうだ、盲目の代打ちだ。



あの人は某麻雀漫画に出てくる盲目の代打ちと同じ名前だったぞ。


乾いた水路に清涼な水が流れ込むような感覚でした。


よし、完璧だ。完璧に思い出した。
後はタイミングを見計らって声をかけ、謝罪するのみ……っ!


そして今日の仕事終わり、ついにその時が来ました。

「あの、すみません……お名前って…“I川さん”…ですよね?」








 

 

 

 

 

 


「…………違うねぇ…」



 


ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!??(その時500円おじさんに電流走る―――!)


「誰かに騙されてるんじゃないの?」

狼狽する僕を面白そうに見るおっちゃん。

もう考えられる手段は尽くした。この人は絶対に、盲目の代打ちと同じ名前だったはずだ。そう名乗ったから僕は記憶の結びつけとして盲目の代打ちを選んだのだから。

「シフトあるから、こん中から俺の名前当ててみなよ」

おっちゃんはニヤニヤしながら従業員の名前が並んだシフト表を僕に見せる。

 

 


よく見ると『I原』という『I川』とIに入る漢字が全く同じ人物がいた。

 

 


「……………まさか…これ…ですか?」

僕は恐る恐る『I原』を指さす。

 

 

 

 


「………ピンポーン。正解!」

ここまで来てようやく僕は全てを理解しました。
僕は最初の自己紹介の時点で名前を聞き間違えていたのだと。

 


記憶として結びつけるべきは代打ちではなく、イケメン俳優のほうだったのだと。

 


この間違いが凄いのは最初の自己紹介から聞き間違えていたにも関わらずそれに該当する別人もちゃんと存在していることから『現場責任者=I川=盲目の代打ち』という図式、思い出し方がさも正解であるかのように上手に仕組まれている所です。


I原さんは「誰かに騙されてるんじゃないの?」と言っていました。

確かに、こんなにも偶然が重なったことによる恥ずかしい間違いは天の神様が気まぐれで起こした運命の悪戯のように思えてきます。



ククク…面白い…





狂気の沙汰ほど面白い…!










……誰か僕を銃で撃ち殺してくれ。

 

 




というわけで、よいこの皆はこんなクッソ恥ずかしい思いをしないように、人の名前はちゃんと覚えるんだゾ☆

覚える気がない人は伝家の宝刀「あの」「すみません」「失礼します」を駆使して徹底的に名前を呼ばないようにしよう!500円おじさんとの約束だゾ!(゚∀゚)アヒャ