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日記・好きな事の考察や感想・オリジナル小説等を書いていきます。

非日常という欲

子供の頃、親に欲しいものをねだっても中々買ってくれなかったことありませんか?

そういうとき僕は「なんてケチな母親だ!こんなに頼み込んでいるのに、きっとウチがビンボーだから買ってくれないんだな。欲しいものもすぐ買えないなんて、なんて家に生まれちまったんだ畜生!」なんて思っていました。

今回はそんな少年時代に感じていたフラストレーションと和解できるかも知れないと思った話です。

 


既に2日前ですが、人生で28回目のクリスマスを過ごした際に「なんか年を重ねる毎に『クリスマスというイベントそのものの特別感』が薄れてきたなぁ」と感じました。
子供の頃はクリスマス直前くらいで学校が休みになるって言うのもあると思いますが、つかの間味わえる非日常に連日ドキドキワクワクしていた気持ちを覚えています。

普段滅多に食べられない美味しい料理と、ずっと欲しくてたまらなかったプレゼントを貰って大喜び。毎年次のクリスマスには何が起こるんだろうと胸を踊らせていました。

しかし、だんだん大人になってくるとクリスマスに仕事をすることも珍しくないですし、財力という魔物によって別にクリスマスでなくても欲しいものは手に入るし、美味しいご飯も定期的に食べることが出来てしまいます。

子供の頃には非日常だった事が、大人になると当たり前に思えてしまう事が恐ろしいです。いい歳した大人が少しでも非日常を味わおうと思ったらより良いレストラン、より良い物を手に入れ続けなければなりません。

 

『非日常への欲求』はまるで麻薬のようです。

 

僕はあんまり物欲がないのでそれほど高価な物を手に入れようとは思いませんが、衝動的に欲しいと思ったときに金があれば、即時手に入れてしまいます。
このいつでも手に入る状態というのが、非日常のワクワクが減退する原因ではないかと考えます。


我々は常に新しい感動、刺激を求めて生きていると言ってもいいです。

 

しかし、どんなことだって初体験の感動を越えることは出来ません。
景色、恋、料理、創作物 etc…


そして感動や刺激に完全に鈍感になってしまったとき、心は死んでしまうのかも知れません。

ということで、長い人生生きていくうえで沢山の感動や刺激を得続けるためには、普段はなるべく節制した生活を送った方が良いのだなと思い、今なら無駄遣いさせなかった母親の気持ちが少しはわかったような気がするという話でした。